上空はいつでも晴天

朝から冷たい雨。その雨は午後になっても止まず、空は重いグレーの雲に覆われて、ポツポツというよりはザーザー涙雨が。やっぱり涙でしょうか、これはひょっとしてあの織り姫様の!(号泣)

そう、今日は七夕。とはいえ、V市で七夕なんてやってる人がその辺にいるわけもなく。「たなばたさまなのに雨なんて、やだ、やだ、やだーっ」と、空を見上げてダダを捏ねている子供も見当たらず。七夕飾りのための笹を買おうと思っても、売っているはずもなく。鉢植えの竹なら売ってそうだけど、今からじゃ間にあわないし。その前に、七夕飾りを作るための折り紙なんてのもそこいらでちょちょいっとは手に入らないし。あるのかもしれないが、どっかに。どこだろう。思いつく場所は結構遠いところばっかり。そもそも折り紙なんていうものはこっちでは「輸入品」である上にかなり用途が限定されたものなので、普通にその辺のスーパーなんかに置いてあるはずもなく。というわけで、本当は金色とか銀色の折り紙が欲しかったんだけど、仕方ないのでウチにあった色紙で代用することにした。

確か去年も、こんな感じで有り合わせ七夕さまをやったんだったっけ。節分に続いて七夕。年中行事にうるさいヤツだなあ...なにもそんなに無理しなくても...という声が聞こえて来そうだが、「七夕」は日本の年中行事の中でも特に好きなお祭りの一つなのであるからして、地の果てにいようと、空を飛んでいようと、四角い紙があればそれを短冊とし、色つきの紙があればそれをパチパチパチっと切り刻んでアミアミになってる即席天の川を作り、「さーさーのーはーさーらさらー」と大声で歌いながら強引に祭りを決行! しちゃうのである。

はて。なんでこんな七夕好きになったかと思い起こすと、まだヨロヨロしてたような子供の頃、N市にあった小さなプラネタリウムに連れて行ってもらい、「七夕の空」などという番組を見た影響じゃないかと思う。私は今でもプラネタリウムがあると絶対に入らずにはいられず、しかも暗闇の中で星空を見上げてやたらニヤニヤしたり、小学生に混じって「わぁ」などという小さな歓声をするという性癖があるのだが、何十年を経た後にもその時の記憶に行動が支配されてしまうくらい、☆☆の饗宴にものすごくカンドーしたんだと思う。初めて見た人工の星空。真っ暗な部屋に浮かび上がる遠くからやってきたという☆の光が、無性に懐かしかったな、あの時。

ああ、でも、今年の七夕はどう転んでも晴れそうにもない。天気予報は明日いっぱいまで雨。☆の一個も見えないだろう、今夜。ってことはさあ、一年もずっと待ったのに、織り姫と彦星は会えないってえの? (再び号泣。雨も激しさを増している)

子供の頃も、七夕が雨だと「ものすごく」悲しかった。一年も一生懸命働いて待ったのに、だよ。あんまりだ。悲惨すぎる。と子供心に思ったもんだ。

でもよく考えてみると、上空はいつも晴天。
雨を降らせているのは人間の心だけなのかな、と本日はそう考えることにした。

これって、日常つい「ああ、私って不幸せ」とか「ついてない」とか「落ち込んだ」「気分が冴えない」「なんの希望もない」「光が見えない」などという「どんより&豪雨」の心理風景になった時に起こっていることとも一致しているように思う。禅の教えなんかもその辺りの事情を説くのだけれど、人間の上空はいつも晴天、らしいです。お天道様は誰の上にも平等に降り注いでいるってのも、案外ホントらしい。でも、見えなくなるんだよな、心の雲が、霧が、嵐が、吹雪が、ハリケーンが、それを覆い隠して。それをさらりと取り払ってみれば、あれれ、こんなに奇麗な晴れだったのか...というようなことが実は多いそうですが。いやはや、人間ってのは、難しい生き物でござる。

本日☆が見えないのは残念だけれど、澄んだ上空で美男美女が無事デートを楽しんでいるの図、そして無数の☆☆がそのお二人をニコニコ見守って踊っているの図というのを下界の私は勝手に想像して楽しむことにした。雲一つない空のまた上。どうやらそこにはいつでも晴れて、☆のやつらがこれでもかってくらいニコニコ&スキップし続けてるらしいよ。