阿修羅は満員電車の中で微笑んでいた

本日は東京に出張。V市にいる時には貧乏暇ありすぎ状態が続き、一週間の計画表が真っ白で、仕方がないのでネカアラボに籠って一人アートへの妄想を膨らませちゃうようなことが多いのだが、たまに日本に帰って来ると、しかもたまに東京などに行くと、もう忙しいのなんのって。短期間にいろんな用事を済ませたりいろんな人に会ったりしようとするので、まさに気力体力の限界への挑戦。やめとけばよいのに、既に過密なスケジュールの合間にアドリブでいろんなものを挟み込んだりもしてしまうので、東京の西と東をすごい勢いで走り回ることになる。韋駄天も真っ青。

と、朝方既に渋谷で用事を一つ済ませ、また東へと飛ぶ。上野の森の恐竜などが出現する付近に生息する長年の友Mと再会。しばし歓談。というか、雑談。親友との雑談ほど楽しいものはないなあ。と、その足でまた渋谷方面に戻るつもりであったが、Mが「これ見てけば」と差し出したのが、なんと今大評判の『阿修羅展』のご招待券。ぐぐっ。見たい。しかし、ものすごい人気であり、最終日が迫っていることもあり、2時間待ちなどという状況が出現しているらしいという。しかも、外は雨。どうする。

見たい。というか、お目にかかりたい。わざわざ遠い奈良の地からこっちまで出張にいらしてる仏像ご一行連。2時間待ちくらいなんってことはないっ、と、Mが差し出す置き傘を有り難く貸して頂き、むかうは国立博物館

まず目に飛び込んで来た「只今90分待ち」の看板。ひょえー。そして、大蛇もここまでは長くないだろうというくらいうねうねと続く長蛇の列。うぉー。噂の通り、中高年の姿が多いが、若者の姿もかなり多い。仏像展には通常あまり見かけない化粧及びファッションの女子なども混じっている。これが世に言う「アシュラ〜」か。もしこの行列だけを見たら、何のために並んでいる人々だと思うかな。老若男女の比率がいい具合に混じっているので、なかなか想像つかないだろうな。赤ちゃんをだっこした若いお母さんの姿などもチラホラ。周りからは「この前よりも人が多いよね...」とか「この前は、ここんとこに柵があった...」とか、前にも既に来ている人が多いらしい。リピーターも多発のアシュラ。すごいな。しかもこの待ち時間を毎回クリアしてのリピート。タダ事ではない。

待つこと70分。ようやく入館。ものすごい混雑。ようやく第一展示室というところに雑踏をかきわけながら辿りついた頃には、左足が疲労のために吊っちゃっていた。アイタタタ。まだ若いと信じ込もうとしている私すら足が吊っちゃってるというのに、一見おじーちゃんおばーちゃんのように見える人々が割と平気そうにスタスタ展示を回っているのには脱帽。これは信仰心のなせる業なのか。このエネルギーは一体どこからやって来るのだろうか。と、吊っちゃってる左足を引きづりつつ、八部衆十大弟子の面々とのご対面。

おおー。素晴らしい。何という造形美。ずっとその前に佇んでいたいような、完璧なバランスと吸い込まれそうな精神的奥行き。70分待ってよかった。リピーターが出るのも分かるなあ、この凛とした存在感。じっとその前に立っているだけで、時間が止まり、遡り、翻り、大きな宇宙的な時間の中へと取り込まれてゆく。そして、なんとも言えぬ安らぎ。が。

と、確かにそうなのであるが、うーむ。後から考えてみると、どうも通勤ラッシュの駅の構内に十大弟子八部衆が立ってたような妙な記憶が...。まさかね。夢だったのかしら。いえいえ。仏像の皆様がすっと立っている周囲を、ザワザワザワザワ音を立てながら動き回っているものが確かに無数に。そうだよね、さっき並んでいた群衆がこの展示室にどどどっと入って来てるのだものね。群衆が動くと本当に「ザワザワ」って音がするということを今更ながら確認して驚愕。ザワザワ、ザワザワ。怖いな、この音。

さて。いよいよ皆の目的地『阿修羅像』が近づいて来た。これはもはやラッシュアワーの駅の構内などという生易しいものではなく、ラッシュアワーの電車の中くらいの混雑。その押し合いへし合う人々が阿修羅像の周りを渦のように取り囲んでいる。今回の渦は信仰の場ではなくて博物館のコンクリートの建物の中にできているのだけれど、過去にもこんな風に信者の波が押し寄せてこんな感じの渦巻きの中に阿修羅が立っていたことがあったような気がするなあと、遠い昔の場面の一つが一瞬見えたような気がした。

と、そんな風に、なぜか今回は間違って満員電車の中に出現しまったかの如き阿修羅であったが、それでもやはり、彼は一筋の澄んだ高い音のように垂直に立っており。周りの全ての雑音が一瞬消えて。

そこに阿修羅がいて、ここに自分がいて、宇宙はどこまでも静かで、どこまでも遠く深く広がって。陶酔。

...なんてやってるのもつかの間。フと我に帰ると、またものすごい群衆のノイズがぶわっと耳に押し寄せて来て。押さないで〜。止まらないで〜。足踏まないで〜。

いやはや、俗世の衆の発する各種ノイズと仏の透明な静寂。一首詠めそうだ。うーむ、あまりのコントラストに吊った足の痛さもいつの間にか忘れていた。

阿修羅像の残像がまだ目に残る中、急ぎ上野を後にして、更なる会合へと向ったのであったが。

俗世のノイズから逃れたい、逃れたいと思っても。まだまだこの俗世の喧噪からは逃れられないらしく。その夜深夜三時、渋谷のカラオケ店の雑音騒音の中で、胴間声を出してたのは他でもない私です。阿修羅が、笑ってただろうな。修行はまだまだ続く。