ふかくこの生を愛すべし

本日も朝より、懐かしい人々との再会。学生の頃、毎週のように通っていた四谷を懐かしみつつ市ヶ谷界隈で食事。
その後、早稲田大学へ。会津八一記念博物館へ。

1881年8月1日の生まれだから八一。八一は早稲田大学の英文科を卒業した後、地元の高校の英語の先生をやっていた。こんな人に英語を習った学生は幸せ者だなあ。この人の恩師は坪内逍遥なのだから、当時の知的環境の豊かさに圧倒される。英語の先生なのに、俳人歌人で書家。しかも美術史研究の大家。奈良を愛し、多くの歌を詠んだ。

早稲田大学会津八一記念博物館というのは、八一の古美術品のコレクションを基に、彼の提唱した「実物尊重の学風」を実現する場所として1998年に開館した博物館なのだそうだ。大学に博物館を作るという八一のアイディアからは70年ほど経っている。「実物尊重の学風」というのは、ものすごく簡単に言うと、頭で考えているだけではダメで、実際のモノをよく観察して、実際のモノから離れることなく理論を作り上げて行かなければ意味がない、というようなことなのだが、自分の教え子たちに「実物」を見せるために、八一は自作の書画を売ってお金を作り、古美術品を買い集めたのだそうだ。

八一の歌に触れると、この「実物尊重」がまさに彼の歌の中にも息づいていることを感じる。
特に、自分の歌を空間に書きとめた彼の書と対面(それもまた「実物」との出会いなのだが)すると、頭の空間からぽーんとひとつ抜けて、古の奈良の、ある日の夕暮れ時などに立ち尽くしているような気持ちになる。頭脳の遊戯ではなくて、もっと確固とした、時空に抱擁されるような強い感覚。「実物」と出会う時間の充実を知っていたから、彼は学問を志す時にもいつもそれを体のどこかに入れておいて、忘れないようにしたのだと思う。人間の学問とは、本当はそういうものなのかもしれないなあ。

八一は自分の教え子たちのために『学規』というのを作っている。

「ふかくこの生を愛すへし

かへりみて己を知るへし

学芸を以て性を養うへし 

日々新面目あるへし」

八一先生に直接教えを請うことはもうできないが、弟子入りしたくなった。考えた事を、頭の中でぐるぐる回すようなことはもう止めて、とにかく手を動かして、物に触って、柔らかく外に放ってみたくなった。