平和。涙。感動。永遠。そして未来へ

一行は路面電車に乗って一路、平和記念公園へ。朝方曇っていた空も、次第に晴れ上がり、日射しが熱いほどの晴天。

まずは原爆ドームの解説版に見入るとーちゃんかーちゃん。今日のツアーはなかなか微妙なピヨコ。ってのは、やっぱり米国人&広島平和記念公園という組み合わせはいろいろとデリケートなわけで。ここは、あまりこちらから押し付けず、ピヨコオピニオンなども挟みすぎずに、歴史の現実を目でみて感じて頂くのがよいのだろう、と、とーちゃんかーちゃんだけを資料館に送り込み、もう前に展示を見た事のある息子とピヨコは公園をぶらぶらしながら待ってることにした。

アメリカ人なら、絶対に広島に来て、平和記念資料館を見なければダメだ」というのが前にここを訪れたことのある息子の主張で、それで今回の旅程にも息子からの強いリクエストにより広島が入ったのでした。原爆ドームの解説に「20万人の市民が一瞬にして亡くなった」とあるのを見て、既に悲しい気持ちになっているらしいかーちゃん。とーちゃんは若い頃に牧師さんになる勉強をしていたという人だけあり、いろいろと感慨深いものがあるのだろうが、口数少なく、真剣なまなざしで解説版に見入っている。

と、そんなとーちゃんかーちゃんに英語解説イヤホンを持たせて資料館に送り込み、息子とピヨコは公園のベンチに座ってしばし、ぼおおおおおっ。

平和な朝。どこまでも、どこまでも平和な朝。修学旅行の小学生の列が目の前を通過していく。お揃いの黄色い帽子を被ってる学校もあれば、ブルーの帽子を被ってる子たちもいる。ちょっと大きいのは中学生。お揃いの緑色の学校の名前入りリュックを背負い、先生に教えられたのだろう、息子の姿を見ると、みんなちょっと恥ずかしそうに「ハロー」などと言うのが可愛い。ガリ版摺りのような手作り資料を手に手に、何か書き込んでいる少年少女。そのうち昼食時間になると、配られた弁当をあちこちで広げる子供達。その合間を外国人カップル、日本人家族あかんぼ連れなども通過。日射しはもう夏の匂いがして、全てが白い光に包まれている。ピヨコは、息子に「ちょっと行って来ます」と言い捨て、慰霊碑の前にちょこちょこっと走り寄り、手を合わせた。世界がずっと平和でありますように。過ちは二度と繰り返しません、と。ピヨコトラベルの使命はずうううっと奥の方のそのまた奥の、階段をどどどどっと降りて左右に5,6回曲がった辺りで世界平和につながっていたりもする。外国人が思わず知らず日本ラブに陥り、日本人が外国人もええなあ、と外国人ラブに萌える。小さな国際交流の蓄積こそ世界平和の第一歩! と文化と人々のギャップをピヨピヨピヨっと埋めるのがピヨコトラベルの使命なのだ。がんばります、皆さん。と手を合わせるピヨコの指先にも思わず力が入った。

さて、予定時間を超過してようやく資料館からでてきたとーちゃんかーちゃん。言葉少なではあるが、平和のメッセージはずーんと届いた様子。そこに群れなす小学生軍団。どこかから聞こえて来る歌声。その歌声に惹かれて行くと、千羽鶴を納めに来た小学生が、平和の祈りの歌を歌っているところに遭遇。子供平和集会。学級委員長らしき少年が平和宣言をして、一同礼。純粋な子供達のエネルギー。澄んだ目と歌声。平和をまっすぐに願っている、濁り一つない心。あ、まずい。ピヨコ思わず感涙。ぐぐぐっ。泣ける。なんだかよく分からないけれど、泣けてしょうがない。と、隣を見ると息子の目尻にも光るものが。とーちゃんかーちゃんもぐぐっと来ている。この子供達のためにも、殊勝な平和集会が終わったら、わああああああっ、なんて叫んであちこちを飛び回り始めるであろうこの子供達のためにも、大人は平和を常に心に持って未来を見据える必要がある。感動。そして決意。

さて。それぞれの思いを胸に、一行が向ったのは広島風お好み焼きの店。平和都市広島の味も胃袋と体の髄に刻んで行こうというプランである。広島カープの選手のサインなどがだだだっと貼られた店内、いかにも横町のお好み焼きやという風情のパイプ椅子と机。ここで感動に沈んでいるとーちゃんに異変が。いつもなら「フォーク」を欲しがるとーちゃんが、箸でお好み焼きを完食。(まあ、この店でフォークは出ないな、ととーちゃんを観念させるくらいの迫力のある店ではあったのだが)さっきから感動であちこち動き回ってる心。もうフォークだなんだといってられないところまで混乱してたのかもしれませぬ、とーちゃん。横では修学旅行の中学生の団体が、すごい勢いでお好み焼きを食べている。ピヨコは、とーちゃんの箸姿を見て、じーん。なぜかよくわかんないけど、じーん。異国の文化が、彼の指先にそっと止まって、胃袋へと納まって行った。

だが、感動はここで納まらず。一行は観光船に乗り込み、一路、宮島へ。5月の、晴天の、脳天がくらくらするくらい美しい太陽がきらきらと反映した波の中の、世界遺産安芸の宮島を見てカンドーしない人がいるはずがない。もう、到着するまでの海上でカンドーが空気中に漂ってぐるぐる回っている。厳島神社には、綿帽子を被ったお嫁さんまでいて、雰囲気は満点。「この建物はいつできたの?」というかーちゃんの質問に「ええっと、593年です」と答えるピヨコ。593年という気の遠くなるような昔にこんなものが作られたということが新大陸から来たかーちゃんにはピンと来ないようであった。日本の底力。改めて恐るべし。柏手を打ち、参拝するピヨコをじっと見つめるとーちゃんかーちゃん。そのうち、神殿では会社員らしきご一行のお祓いがはじまり、さらにぐぐっと見入るとーちゃんかーちゃん&息子。と、そこで息子が一歩進みでて、「お賽銭あげて、2回頭下げて、2回手を叩いて、一回頭下げれば良いの?」と他の人の参拝を観察した挙げ句に自分でもチャレンジ。ほーっ。まさか息子が参拝にトライするとは思ってなかったので、ちょっとビックリ。郷に入っては郷に従えなのか、息子。それとも、何か心に願いがあったのか、息子。(何を頼んでたんだか...)ともあれ、ピヨコはここでも、感動。

涙、涙、また涙。感動、感動、また感動。

赤い鳥居が目に沁みるぜ。潮風。そして白い光。

美しい5月の午後。どこか永遠にも似た時間がとーちゃんかーちゃん&息子+ピヨコを取り巻いているようであった。

(ちなみに、その感動の合間にも、ピヨコはおみくじを引き、そして縁起物の杓子をゲット。おみくじには『天地混沌兆』とあった。なんでも世界の始まりのような運で、まだどっちに転ぶか分かんないんだと。気を引き締めて、初心に帰り、未来を見据えてゆけゆけピヨコ。ゆけゆけピヨコトラベル!)

業務連絡:なお、明日より飛脚サービスのない宿場を通過予定。通信がとだえるかも。ピ。