伝統芸能漬け。

さて、二日目。
昨日の興奮も覚めやらぬ朝っぱらから、エキチカでお惣菜を買い漁り地下鉄へと乗り込む一行の姿があった。ベタな東京観光だと二日目はたぶん浅草か上野、グっとトラッドに皇居。もちょっと行って新宿渋谷。最近だと六本木ヒルズにお台場なんてとこだろうし、いっそ「はとバス」なんかに乗っけちゃうという手もある。時間の余裕があったらその全部をやりたいところだが、時間がないのが世の常。セレクトせねばならぬ。どうしよう、どうしよう、ぬーん。とピヨコが悩んでいたと思うでしょ。ところが。

観光地ってのは場所だけじゃないもんねー、イベントイベント! と、「文楽東京公演」と滞在日が重なると知った時からピヨコの目は爛々と輝いていたのである。またかよ。また自分の趣味をゲストに押し付けるのかよ、ピヨコ。自分が見たいんじゃないの? それだけなんじゃないの?

と意地悪な質問をすると、ピヨコは悪びれずに「そーだよ」と言ってのけた。ほーん。

ピヨコの伝統芸能好きは今始まった事ではない。昨日の相撲もまあ伝統芸能の一種であるし、ばーちゃんがいつも裏の部屋で三味線を弾いたり、浪曲のテープを流しているなどという環境で育ち、ヒヨコ時代からその素養があったピヨコは上京してから伝統芸能オタクと化し、能は習うは、歌舞伎は観るは、寄席に通うは、新内の師匠の追っかけをするは、遊び人の若旦那のような生活を長らく送っていたのである。その中でも、どーしても一つ選べと言われたら、結構迷わずに選ぶのが文楽。ピヨコは無類の文楽好きであって、たまたま来日した時に文楽公演があると、どうしてもそれを見ずにはいられず、わざわざ大阪まで東海道新幹線に乗り、大阪国立文楽劇場まで公演を追っかけていったことすらあったのだ。シブいな、ピヨコ。

と、そのラブな文楽が東京の、すぐそこでやっているとあっては、ゲストが本当に楽しめるのであろうか、4時間もの長時間米国人親子は日本の伝統芸能とのお見合い状態に耐えられるのであろうか、などという心配はまあ棚に上げて、即座にチケット予約に走ったのが、そうだなあ、もう2ヵ月くらい前?

東京文楽公演恐るべし。その時、既に時遅し。東京人の文楽熱は最高潮に達しているらしく。ぴあなんかじゃ取れないんだよ、チケット。ということで、急遽若旦那時代の友人である文楽人形遣いのMさんに連絡。芸人枠でチケット予約を依頼。なんとそれでも予約待ち状態という盛況振り。古典芸能がこれほど人気というのは嬉しいが、チケットが取れないほどとなると辛いよね。滑り込みセーフ。Mさんにご足労をおかけして、遂に手に入れたチケット4枚。これを握りしめて、朝からソワソワしているピヨコ。ピヨコは何がしかの劇場公演がある日には、必ずこの異様なまでの興奮状態に陥るらしい。なんでだよ、リラックスしろよ。え? 開演に遅れたらどうしようと思うとそれだけでソワソワするって? そうなのだ。ピヨコは開演に遅れることがゲジゲジよりも嫌いなのだ。その昔、友人を伴って観劇にでかけ、まずは食事を済ませて...とソバなんか食ってるうちに開演時間が迫り、まだ悠々とソバの最後の一本を食べている友人を振り切って席を立ち、そのままぴゅうーーーーーっと超速で街を駆け抜け、開演2分前に辿り着いたのは、そうです、このピヨコです。友達は唖然とし、それ以来ピヨコを観劇に誘うことはなかったらしいのだが、そんなことは全く気にしていないピヨコ。映画館に途中で入るくらいなら3年後に見る、というのと同じくらい、ピヨコは開演を逃すのが嫌いなのである。変なのー。まあ、開演に遅れて来る人というのは、他の人の迷惑でもあって、そういう人にもピヨコはかなり厳しい視線を投げかけたりする。って言いながら、自分も結構ギリギリに駆け込む事が多いんだけどね、矛盾。

と、「文楽東京公演」はとーちゃんかーちゃん&息子が何と言っても、絶対に外せないイベントだったのです。勝手なピヨコめ。ただし、とーちゃんかーちゃん&息子の引率もやっているので、地下鉄の連絡通路を小走りで走る! などということは今回はできない。逸る心。遅々とした歩み。ぬーん。ぬーん。ピヨコの心はちょぴっと波立った。

無事に国立劇場に到着。永田町の駅からは、お着物姿のおばさま等をフォローしたのだが、この人々もやたら悠長に歩いている。開演時間まで10分を切っているというのに。なぜ。っと、劇場前に差し掛かると、山のような人だかり。あ、これは、もしかして。着物のおばさまは大劇場の公演に来た人であり、開演時間までたぶんあと30分くらいあるのだろう。小劇場の観客はすでに皆、席についている。してやられたり! 迂闊なりピヨコ。っと、それでも開演3分前に入場。ほぼ30秒くらいの速さで英語版イヤホンガイド3機をゲットし、毛を逆立てながら吊り上がった目で米国人一行に渡すツアーガイド・ピヨコ。鬼気迫るとはこのことだ。そして、着席。開演。

と、なかなかにストレスフルな開演までの時間だったが、始まってしまえば極楽ピヨコ。三味線のビーンと沁みる音、太夫さんの汗だくの熱演、人形遣いのしなやかな動き、人形の透明な美。ああ、大好き。ラブ。ラブラブ文楽。と、さっきから顔はニヤニヤ。心は浮き浮き。面白いっていう言葉は天岩戸に隠れてしまった天照大神が再び顔を見せる時に世の中がぱあーっと明るくなって、皆の顔が白く見えたという神話世界に由来するなんていう説があるが、文楽を見てわあああっと心が浮き立ち、えも言われぬ幸福に満たされる時、いつもこの白く輝く顔、面白さ、のことを思い出す。なんか、こちらもそういう顔になっているのである。いつのまにか。それはピュアで、しあわせで、神域にも近いような、純粋な喜び。それが心の中心からこみ上げて来て、顔をぱああっと明るくする。まあ、傍から見ると、単に目がとろろんとして口元が歪み、怪しい笑みを浮かべ続けている変な人にすぎないのかもしれないけど。

イヤホンガイドの助けにより、とーちゃんかーちゃん&息子も文楽の快楽の一片を味わったようである。黒子のマスクを見て「こわっ」とかいうコメントを出していたり、「あのシンガーが着ている鋭角的なドレスが素敵」(裃のこと)などと、さすが外国人という視点も出まくっていたが、今回の公演にはガブの頭も出たり、早変わりもあったりで、これで楽しめないわけがない。ピヨコは、足遣いの時代から知っている期待の新人Mさんが今では主役級の人形の左を遣ったり、小さな役では主を遣ったりしているのを見て、感激感動。劇場に足を運ぶ度に藝に磨きがかかり、一歩一歩着実に芸道を極めている姿がすばらしく、また人柄もとてもまっすぐな魅力的な方で、サポーター(勝手にサポーター)としてはとても嬉しく、また「よしっ。私もがんばるぞ!」と気が引き締まる瞬間でもあるのだった。

休憩時間には、「かーちゃん、私、先に席取ってますから、ロビーにて再会。」などと言い捨てて小走りにロビーへと向うピヨコの昼食席取りパフォーマンスなども出て、無事に観劇終了。Mさんのお招きで、楽屋ツアーもして頂き、人形を持たせてもらってとーちゃんかーちゃん&むすこはビッグスマイルはいチーズ。ピヨコはさっきからもう滅茶苦茶カンドーしっぱなしだが、とーちゃんかーちゃん&むすこもかなり楽しんでいる様子。文楽ラブラブ。「ええええっ、こんな所まで見せてもらっていいのぉ?」とこっちが不安になるくらいにオープンで、サービス精神旺盛な文楽界。この風通しの良さ、人間サイズのエンターテイメントがとっても好き。文楽最高。ピヨコトラベルは文楽の(勝手に)サポーターなので、今後もピヨコトラベルのツアーには必ず文楽は入ることでしょう。ああ、なんという幸せ。うっとり...。おいおい、そこのピヨコ。また一人で悦に入ってるな。でもねえ。これでは仕方がない。素晴らしいのですもの、文楽。私だっても、三度の飯を食べなくっても、山超え川を泳ぎ切ってでも、観に行きたいですもの、文楽。おばあさんになっても、ずっとずっと観に行きたい。一緒に行こうね、ピヨコ。コックリ(頷き)。

伝統芸能漬けの2日で、かなり頭が日本になっているとーちゃんかーちゃん&息子。細胞が困惑してるといけないので、夜はさらっとモスバーガー。「小さいっ」とか「ソースが滴り落ちて手がべたべた」とか言いながら、結構楽しそうに食べておりましたとさ。

余談:「モスバーガーは、ソース分が多いからあー、袋に入れたままでぇー、食べた方がぁ...」と思わずピヨコが嘴を挟んだら「アメリカ人にバーガーの食い方を指南するなかれっ」と息子にがんっと釘を打たれました。ぴよっ。ま、そうだね。アメリカ人に寿司の食べ方指南されたくないもんな。