荷造り遅延症の謎

さて、旅立つという時になって、いつものことなのだが、準備が直前までできなくて、あわあわしている。世の中には旅立ちの準備ができる人とできない人の二種類がいるのであり、旅行バッグに出発の半月前からきちんと荷物を詰め込んで、残りの半月は中身の配置を毎日変えているような人もあるし、明日出発だってばという時の、ああああ、もう明日じゃなくて今日じゃないの、ああああ、外がもう明るくなってきた、ああああ、空港まで間にあわない、ああああ、鍵閉めたかしら、電気消したかしら、などと、直前までどたばたと準備の整わない人とがいる。

私は、明らかに後者に属する人間らしい。旅立ちの日の未明に、泣きそうになりながら散乱したモノモノで覆い尽くされた足の踏み場のない部屋を、どこからどうバッグに詰め込んだらいいのか、何を持って行って何を持って行かないのか、もう脳が判断停止、知らないよと呆れ返り、呆然とするところに朝鳥がピイチク啼くなんてことが、これまで何度あったことか。大抵、旅立つ日の朝は寝不足で膨れ上がったような顔でフラフラだった。その状態で出発するので、時差ボケなんてのは意外と感じなかったけど。その前に既にボケボケ。

と、「旅立ちの準備をギリギリまでできない性」がどうにも治らないのだったが、ここ数年、飛行機に乗り遅れそうになる&間に合わせるためにダッシュするなどという体力がなくなって来たからだろうか、あまり筋力を頼りにできない危機感からか荷造りが少しだけ早くなり、家の掃除&片付けなどすら出発前にできるようになった。

なんて言ってますが、目の前には、本日もモノがまだ散乱。どこ、どこ、どこ? どこ行けばいいの? あっち? こっち? えええ、ボクは日本に連れて行ってもらえるの、もらえないの〜。などと、モノがまだ納まるところに納まらず、へえっ、へえっ、などとキョロキョロしながら、部屋中を動き回り、落ち着かないことこの上ない。

でもまだ23時間ある!

23時間前でこの状態、自分のこれまでの旅立ち準備の中ではこれでもかなりオッケーな部類に入る。現に今、悠長にも日記なんてしたためている時間があるではないか。奇跡に近い。すごい。えらいっ! いや、まだ油断は禁物。これからモノの反逆、脳の判断停止などが制限時間が迫ると共に襲いかかって来ることが想定される。侮るなかれ、旅立ち。それにしても、お腹がすいた。(昨日の時差ボケダイエット継続中)外は雨。これから最後のショッピングに出陣。さて、今夜私はきっちり奇麗に詰め込まれたトランクの横で、すやすやと旅立ちの朝を夢見て眠ることができるのか。それともやっぱり「まにあわない〜」と泣きながら、狂乱するのであろうか。

自分は、この世から去るときにも、こんな風に前日当日その瞬間まで準備ができなくて、あわあわするんだろうなあ、とこんな時いつも思う。このギリギリまで引き延ばす性格っていうのは、一体なんなのだろう。結構心理的に深いものが隠れているような、いないような。旅立ちたくないとでも思っているのやら、この謎の引き延ばし。名残惜しいのね、今いる場所。そういえば、なぜかV市がやたら美しく見えたもんなあ、昨日。出会いと別れの連続である人生の真の顔がその瞬間にちらりと見えるからなのかもしれぬ。ううむ。そうか。などと、しんみりしてみたのだが、タダだらしないだけでしょーっ、とピヨコはさっきからあきれて溜息ばっかり。ピヨコは着替えがないから楽だよね。歯も磨かないし。シャンプーも使わないし。人間は不便だなあ。なんで荷物こんなに多くなるの? (着替えるよお、磨くよお、使うよお、とピヨコの声)