旅行ではなく、旅に出ます

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
という松尾芭蕉奥の細道』を中学校で習った時、ああ人生というのは旅なのだなぁ。と、子供心にしーんと心に沁み入り、先生が「序文は暗記しなさい」と言うその言葉を鵜呑みにして、通学路の田んぼのあぜ道を自転車で走りながら「舟の上に生涯をうかべー馬の口とらえてー老をむかふる物はー、日々旅にしてー、旅を栖とすぅ!」などと大声を張り上げてるとカラスがカアカアと啼きながらねぐらに帰り、空は茜色。いつか本当の旅人となって、この先の、地平線の先の、もっと先の、海の向うの、もっと向うの、未知という名の場所に行ってみたい、必ず行くだろう。とそんなことをわくわくと考えていた。茜が濃紺に落ちて行く、山の稜線と地面が出会うあたりがぼおっと光って、永遠がやってくる、そんな時間に。

と、『奥の細道』序文を暗唱復唱しすぎたせいだろうか。その子の夢は実現され、海の向うへと渡って行ったのです。るるる〜。

松尾芭蕉の時代には、旅は命がけであっただろう。そして、今の世でもやっぱり旅は命がけ。だからというのではないけれど、今日一日の命と思って旅せねば。っというわけで、恐るべしピヨコ。本日は荷造り買い物をちょこまかテキパキとこなしたばかりか、部屋の根本的な掃除。冷蔵庫の中までピカピカに磨き、いらないモノの整理にまで手を出している。どうしたのぉ、そんなに張り切っちゃって。

だってぇ...とピヨコが真顔でこっちを見た。その眼は! そうか、そこまでの覚悟で旅するのだな、こいつめ。三里にお灸なんかも据えてるだろう。部屋の掃除をしてから旅立つ。身を清め、空間を清め、そして旅に集中。旅行なんて呼ばせない。旅、です。旅人、です。ひゅるる〜。ぴよっ。

ここまで気合を入れて旅立つ旅であるからして、旅に100%集中すべきなのであるが、旅に日記はつきもの。芭蕉さんだっても、そうやってたし。既にあちこちから旅の様子、成田で捕縛されたかされなかったか、久々に目にする日本国のあれれっ変だな情報など、ぜひ日記に書いて下さい、楽しみにしてますーなどというリクエストをいただいているし。どーする、ピヨコ。書くのか書かねえのか。

書くよ。と言いながら、矢立てを磨いているその後ろ姿。おお、本気だな、お前。
道中、難所関所などもあり、飛脚サービスのない宿場も通過するので、時々途絶えるかもしれませぬ、消息。
ピヨコは、振り分け荷物で草蛙結んでるよ。やりすぎだっての。とにかく、元気にいってらっしゃい、はい。行って来ます。ぴっ。