脳が阿波踊り中

昨日、東京から来V中のT氏と10+α年振りに再会。久しぶりに脳細胞が振動している。T氏は現代芸術パフォーマンス等に詳しく、見識眼が冴えまくっているばかりではなく、日本を代表する面白人間であるので、氏と雑談などしていた数時間でV市における知的刺激の3年分くらいを頂いたという感じで、それで脳細胞がさっきから阿波踊りを踊っているのである。この感じ、久々に東京などに着陸した時にもやってくる、この脳のお祭り。いかに普段脳細胞が停止あるいは冬眠状態であるか、ということを思い知らされるのだが、逆に言うと、ここまで刺激が少なく、脳を仮死状態あるいは停止状態へと導くV市はブラックホールのような所で、それはそれですごい。日々、あらゆる刺激(特に知的な刺激)があまりにも少ないので、ぼんやりとしているうちに、それにも飽きて。ついついちまちまとした日常の隅っこの、小さいもの塵埃芥などに視線を送りはじめる始末。ついにはその微細な一点が気になり始め、それを虫眼鏡や顕微鏡で拡大して、その点の更に奥にある、もっと小さな点の一つが気になり始め、そのミクロな点を見定めむといつしか寄り目で息をこらえ、どうにももう肉眼では見えないらしいので、それならば心眼でみむ、とヨガでもやりながら点点を懐に納めて、人気のない路地裏を徘徊。ホームレスのおっさんの横をカナダギースの親子が横切り、カラスがカアカアと東へ向い、どうにも寂しいような夕暮れの薄暮の中に浮かんでいる夜影の点を懐の点に重ねて見た所、どうやらそれは宇宙の入口につながっているようで、あら不思議。原子顕微鏡でも捉えられるかどうかと思っていたこの点の中に私はいて、世界も宇宙もその中にあり、なんだ小さいと思っていたこの点は、結局宇宙と同じくらい大きかったのか、と、そんなことまで、退屈で停止寸前まで速度を落とされた脳は考え出すのである。妄想は刺激の欠如からはじまる、のかな。

いやあ、それにしても、刺激が少ないところなのだよなあV市。刺激が少ないということは、たぶんストレスが少ないということでもあり、そういう意味ではこの街が、世界で一番住みやすい街ナンバー3に入るってのも納得がいく。しかし、ストレスがなさすぎると、脳は凍結冷凍睡眠をはじめるのであり、またはもう自分でなんとかして刺激を創り出そうとして、自爆する。まあ、適度なストレスってのは、脳には必要なんでしょう。たぶん。

さて、本日はこれからまたダウンタウンへ。日本の才媛M女とジャパレスランチなどと洒落込もうという企画。そして宵には再びT氏とダンスパフォーマンスなどを観に繰り出すという素晴らしい予定になっている。こんなにスケジュール帳が塞がっている日は、ああ、もう何ヵ月振りでしょう。さて、この突然の知的刺激の嵐に私の隠居脳は耐えられるのであろうか。かなり怪しい。脳内はもうさっきから阿波踊りを踊るは、ねぶたを引き出すは、オッペケペー節を唸るわ、元禄花見踊りのダンサーが総出で桜の枝を振り回すは、大変なことになっている。呆けてずっと縁側でうとうとと眠ったり、三畳間くらいのところで(牢屋だな、まるで)宇宙を妄想していたりしていたところに、刺激連中が揃いの浴衣姿でどどどっと流して来たのである。あっちからも、こっちからも。ああ。あんまり華やかで、うきうきとしていて、笛や太鼓の響きに心も踊り、いつのまにか顔が笑っちゃってるよ、ヤバいな私。踊りに加わってもいいのかね。こんな爺の私でも...。と、もうすっかり枯れちゃったジジイが若い娘の色香に惑わされて、ついその気になって尻はしょって踊りの輪に加わるような気恥ずかしさを脳が感じちゃっておる。

はは。面白いなあ。隠遁脳を悩殺するセクシーな知的刺激娘。

と、やたら浮かれて、心拍数が一分間に15カウントくらい多くなっているという朝。低血圧が治りそうな勢いである。まあ、もうしばらく踊らせておくか。たまにはいいよね。脳おじいちゃん、ふふふ。無理しないでね。と、一気に若返った気分の脳をいたわりつつ、本日はやや曇天なれど空は明るく。美しく、知的で面白度抜群のさまざまな人々とこの世で巡り会える幸せに感謝しつつ、橋を渡ってでかけます。あ、ヤバい。思わず足がタップステップ状態。ろれっ。