走るひとびと

本日も晴天。と、朝起きて窓を開けると、何やら表が慌ただしい。ウォーとかヒーンとかヤッャーアウとかいう変な歓声、そして缶カラを棒ッ切れかなんかで叩く音が聞こえる。と、見下ろせばそこには走る人々が。5月の爽やかな日曜日。今日もまた何がしかのランが行われているということらしい。歓声は沿道の応援の声らしい。かけ声に缶カラくらいならまだカワイイが、更に大きいランになると、ロック?バンドが沿道で演奏して盛り上げるなんてこともやるので、日曜日は朝寝もしてらんない。ランと言うのは乱でも卵でもなく、RUN。マラソン大会のこと。この季節になるとV市では毎週のようにこのランが行われていて、どうやら音加庵はそのコースの途中にあるらしく、たくさんの走る人々が窓の外を通って行くのが見えるのだ。ちょっと肌寒いけれど、気持ちいいだろうな、こんな澄んだ朝に走るなんて。

さて、こちらのランというのはチャリティー目的のものが多く、企業がスポンサーになって、例えば「乳がんの予防と対策」とかいうテーマの下にランを開催。人々はこうしたイベントに寄付したり、実際にランに参加したりして、コミュニティーをサポートする。いろんな社会問題に対する人々の意識を高める宣伝効果と寄付集め、そして市民の健康増進を一度にできる一石三鳥のイベントなのです、ラン。

と、偉そうなことを言っているが、私は一度もこうしたランに参加したことがないんです、ああ、なんだか、とても後ろめたい...。というのは、実は私はランナー一族の3代目で、父、祖父、父の兄弟は皆ランナーだったという矢鱈と走る血筋を引いている。この父方の一族は、某地方ではちょっと知られたマラソン一家。なんでも家族でマラソン大会のようなことを毎年企画して、最初は家族だけでご近所を走り回っていたらしいのだが、あんまりマジで毎年走っているので、ついつい近所の子供なんかも釣られて一緒に走ってしまい、年を追う毎に釣られる人の数が増加。遂にそれが現在も続く某市市民マラソン大会へと発展したとかいう、なんだかプロジェクトXみたいな、昭和の匂いたっぷりの逸話のある変人一家なのだ。

とはいえ私は、この走る変人の血を解放したらマズいな、と無意識に抑圧しつつ、なるべく走らずに今日に至り、でも心の中では、ふふふ、走ったら私、結構走れるのかも。なんて自惚れていたのだが、カイロプラクティックの先生曰く、「あなた土踏まずが低いから、ランナーには全然向いてない(笑顔)」だそうである。ただ、ランニングシャツに短パンとか着ると(着ないけど)、肩の骨の貧相な突き出し方とか胸の薄さとか、なんとなくランナー体型でもあり、今でももしかしたら走ったら走れるかも...。とまだ自惚れている。

変人ランナー一家で育った父は、その後更に変人度に磨きをかけて、競歩を始めた。ここになると、もう誰もついていけない。マラソンというと陸上競技の花形だけど、競歩なんて最悪。と子供の頃、いつも思っていた。あの腰フリフリの妙ちくりんな動きも、子供心には迷惑。せめて野球とかサッカーとか、その程度の爽やかスポーツマンであって欲しかったのだが、何かあると歩いちゃう父。しかもものすごい速さで。いや、正真正銘の、変人です。お父さん。なぜにそこまで歩くのか。お願いだからバスに乗って〜。よく、ついつい職場まで歩いちゃった...とかよく言ってたけど。どうでもいいけど、足が速すぎ! ランナーズハイならぬ、ウォーカーズハイなんかも出てたんだろうか。なぜそんなに歩きたがるのか、父よ。まだ人影の少ない田舎の農道を腰をキュッキュッと捻らせながら、通勤ウォークする一人の男。テレビドラマ化するなら俳優は本木雅弘阿部寛がいいって? ぬーん。ちょっとイメージが違うのでは。なんかこう、もうちょっと野蛮+ド真面目+山猿系の...。誰がいいだろう。でも、ちょっと待って、それってやっぱり青春熱血ドラマ系? 歩く男をいつも見つめながらバス停に佇む美女。え、それってウチのお母さん? 女優は松嶋菜々子松たか子って、んもう、みんな勝手に作り過ぎ!

だが、やはり血は争えない。私は異様に足が速いのだ。誰かと一緒に歩く時は、だいたい30%くらいのパワーにセーブしている。でないと、たったかたーっと雲間に消えてしまう変人と化してしまうからだ。一人で歩く時は速いよ。ひったくりなんかが付いて来れないくらい速い。これは足がアトム系であることとも関係しているのかも知れないが、F犬街にいた時から「逃げ足」には自信があったので、夜道の一人歩きもそれほど怖くなかった。別に足の裏からジェット噴射するわけじゃないけど、この、足の先の方に行く程太くなっているかのような強靭なふくらはぎにモノを言わせて、背後に怪しい気配を感じたら、ぐいぐいぐいと速度を上げる。歩いてるだけだよ、怯えて走って逃げてるんじゃないよ、という雰囲気がポイント(だって、後ろにいるの、ただの散歩中のおじさんかもだし)。だが、歩いていると見せかけて、これは既に通常の歩行を超えた超歩。おっさんが、れれっと言う間にすううううっと雲間へと消えていく。父よ、ありがとう。こんなド太いふくらはぎをくれて。変人の方の遺伝は困るが、まあ、仕方ないなあ。やれやれ。

と、ランを見る度に、なんとなく父を想う。
変人の血が騒ぐのか。いや、走らないけどね。走らないけど。え、歩かないよ。歩かないってば。でも、走るのと歩くのとの中間くらいの速さで、スイスイ行くのって気持ちいいな。風を切って。髪が揺れて。あれ、まずい、いつの間にか、ちょっと歩いちゃってる私。まずい、やっぱり血が騒いでるらしい。青空に白い雲。