世界の果てのコインランドリー

さて、V市には天下のBook Offもあり、V図書館日本語部もあるので日本語の本を入手するのは割と簡単。Book Offができる前は、郊外にある日本語書店に何度か行ったことがあったけど、こちらは値段があまりにも高くて、買う気になれなかった。さすがに定価500円の文庫が1500円で売られてたりすると、躊躇しちゃう。というわけで、中古本を$2くらいでゲットできるBook Offはとってもありがたい。もうどうしても欲しい本がある時は、アマゾンを使って日本から取り寄せたこともある。これもものすごく高くついてしまうけど、大枚を叩けばとりあえず本が買えるというのは嬉しい。

と、私と日本語本の関係は今ではこのように何の緊張感もないダレたものになっているのだが、F犬街に住んでたときはなかなか強烈だった。最初の数年はインターネットもやってなくて、日本との細い絆はFAX機のみ。そもそも近辺に住んでいる日本人の数が10本指で余るような場所だったから、日本語本屋などというものがあるわけもない。その上、なんというか、若さというか、イキがっていたというか、その頃の私は出来うる限り日本語でのコミュニケーションを避けようという傾向にあったので、日本人の友人知人もかなり少なかった。

今でこそ、ココにいるのにアッチとつながっているようなネット的な存在と化し、V市の今ココにいる私の輪郭というものはなんとなく薄ぼけて電脳の闇の彼方に飛散しているような状態なのであるが、F犬街に居た頃(その初期)の私は、まさにその正反対。どの瞬間、どの角度を取ってみても、どっぷりとローカルで、まさにアソコのアノ時間に居たのであって、逆に言うと、それ以外の場所と時間からは完全に切り離されて浮いていた。自分の影が、滑らかに濃かったF犬街の夕暮れ。マグリットの絵の如き蒼い夜に落ちて行くちょっと前の光る空に飛行機雲が二三本。夜はここでは随分と暗いのだ。夜の粒子の一つ一つが音を立てて床に積もって行くような、時代がかった静けさがある街の宵。うっかりすると床に落ちた時間の一片に吸い込まれて消えちゃいそうな夜を、さてどうやって一人過ごすのか。テレビを持っていなかった(正確に言うと、テレビは持ってたけど、建物にケーブルが入ってなくて、結局ビデオ再生機に化した)ので、娯楽のその一はラジオ。これを音量を低めに流す。そして娯楽の二は読書、と言いたいところなのだが、部屋にあるのは10冊ばかりの、もうどれも読み終えた本ばかり。三島由紀夫本が3,4冊ほど。サン=テグジュペリ関係の本が数冊。それに文楽の本が2冊くらいあった。三島とサン=テグジュペリはその当時、親方と一緒に作っていた演劇のための資料として購入したもので、もともとの愛読書とかいうのでもなかったのだが、F犬街での暮らしの間、それらの本は増えもせず、減りもせずずっと棚に並んでいた。

三島の『憂国』と『若きサムライのために』は、仕方ないので何度も読んだ。壁の真っ白い天井裏の部屋で、世界から隔離されながら三島の文章など読んでいると、なんだかとても危うい気持ちになってしまうのだが、他に読む言葉がないので、もうやけくそで何度も同じページを読んだりしていた。三島の美麗な言葉をあれほど脳の中で反芻すると、もうそれは犯罪に近い。と、しばらくはそんなことで楽しんでいたのだが、でも、さすがにそのうち飽きてしまって、さてどうするか。そこである日思い切って本屋に出掛けた。F犬街はフラマン語オランダ語と言語的には同じですが)の地域なので、本屋の棚も7割はオランダ語。残りの3割のうち、半々くらいでフランス語と英語の本が並んでいる。オランダ語は本を読めるほど分かんないしー、フランス語も辛いしー、ということで、いやあ、その時はじめて、英語の本がすごくフレンドリーな野郎だって気づいた。10代の初めから、わかんねー、わかんねーと言いながらも、いつもなんとなく一緒に歩いて来たこいつ。日本語野郎が周りにたくさん時には、ついないがしろにしていた彼が、こんな世界の果ての本棚から私に微笑んでるではないか。こんなに浮気で、あなたにずっと冷たくしてた私でも、見捨てずにいてくれたのね、英語さん。... 愛しさ懐かしさで思わず彼に頬擦りしちゃいたくなったほど。英語さんとなら分かり合えるかも。だって幼なじみだし〜。

と、心は高ぶるのだが、さて、どの英語さんにするか。まあ、これはその本屋の方針だったのか今ではよく分かんないんだけど、やたらずらっと並んでたのがミラン・クンデラの小説で、名前は聞いた事あったので、まず一冊手に取った。『笑いと忘却の書』。チェコ人の作家でフランスに亡命した人なので、フランス語で書かれたオリジナルの英語翻訳版ってことなのだが。

さて。それ以前に英語のペーパーバックを読んだ事があったかどうか、というと思い出せない。英語力アップのために読むべし、と何冊か買ってみたことがあったような気がするが、全て途中で挫折。辞書を引き引き、それだけでもう面倒臭くなって本棚の肥と化した。とすると、いきなり手に取ったクンデラを読めたこと自体がなんとなく今となっては奇跡のようであるが、その時のクンデラは、なぜだか知らず、すーっとそのまま内側に染み込んで来たのだった。辞書を引いたという覚えもなし。一語一語全部分かんなきゃだめ、というような心理的なこだわりが最初からなかったのがよかったのかもしれない。それとも、実はそれまでにクンデラ読むくらいの英語力の蓄積があったのだろうか。えっへん。そのあたりの諸々の要素がうまいこと揃ったとこにクンデラが出たのかも知れぬ。ともあれ、最後は起爆力。まあ、あのくらい活字に飢えていると、もう読むという勢いが違う。面倒くさいエネルギーを読みたいエネルギーが駆逐した瞬間。人間ってのはしかし現金なものだなあ。日本語さん本命だと思ってたのに、彼が目の前から消えたってだけで、今度は英語さんに心変わりしちゃったりして。いえいえ。これもサバイバル。どこまでも生きて行く私。

さて、そのクンデラなのだが、自分の部屋の中で読んだという覚えはあまりない。週末になると、近所にある「世界一哀しいコインランドリー」に出掛けるのが習慣で、『笑いと忘却の書』からはじまり、ほとんどのクンデラ本をこのコインランドリーの待ち時間に読んだ。古い洗濯機とボロい乾燥機、その中間に何やら金属むき出しの筒のようなものでできた「絞り器」などという器具も置かれていて、毎週必ず、そのどれかがぶっこわれていた。床は白と黒の市松模様で、ところどころが剥げたりしながら部屋全体がならだかに傾斜。時には何がどう間違ったのか、床が半分くらい浸水していることもあった。蛍光灯が暗く、ちらちらと瞬いて。ああ、これは世界の果てのコインランドリーだなあ、などと。時折やってくる客は皆、移民とおぼしき外国人たち。その、みんながみんな、ものすごく訛りのある英語でマシンの使い方を私に質問する。そういえば、イタリア人のにーちゃんにマシンの使い方を教えてあげたら「今夜、ピザ食べに行かない?」と誘われたこともあった。イタリア人のナンパでピザ、というあまりに分かり易い組み合わせが笑えすぎたので行っちゃおうかなあと一瞬思ったが止めといた。とまあ、話は尽きぬコインランドリーの思い出なのだが、浸水も日常茶飯事だし、薄暗いしで、大抵の場合は誰もお客がいなかった。私一人。

丸いガラス窓の中で、洗濯物と水と、石けんの泡がぐるぐる回っている、それを上目遣いで時々見ながら。
ガアガアとうるさい中古マシンの振動が古ぼけた木のベンチの足から私のお尻にまで細かく伝わって来るというそんなボディソニックな空間で。
クンデラ
その合間に、ぐっしょり濡れたシーツやシャツを「絞り器」に移動して、ちょっとタップのステップを練習。
だあれもいない。私一人。
世界の果てのコインランドリーだもんねっ。ちくしょーっ。
と、放っておくと、あんまり世界がブルーに沈んで行くので、よく、大声でジャズナンバーなんかも練習してた。それによって、世界のブルー化が食い止められなかったばかりか、更にブルー化が進行して、もうどうしようもなく世界の果てになるのが常だったけれど。
というわけで。私の中ではコインランドリーとタップ、歌、クンデラがどうしても切り離せず、それが全部濡れて泡だらけになって、ぐるぐると回転している。

さて、活字への圧倒的な渇望および今更ながら目覚めた英語さんへの恋心により読破されたクンデラ群の後には、トルストイの『アンナ・カレーニナ』にも手を出した。日本にいたときには、そんなものを英語で読もうなんていう気力も興味も全くぜーんぜん起きなかったのだが、日本語で読めるものがないという極限的な環境の中で、しかも周りはほとんどがオランダ語かフランス語という八方塞がりの状況の中で、それまで英語に感じていた心理的なブロックが消え、英語が英語さんとして優しく私の手を引いて、思わず私も「素敵...」と目を潤ませてしまったのが良かったのかしら。英語が突然、簡単に思えるようになったんだよね。ほとんど心理的トリックですが。『アンナ・カレーニナ』の方は、コインランドリーではなく電車の中でよく読んでいた。この話にもナンパ男が登場してなかなか面白いのですが、その話はまたいづれ