磨きヒーリングのススメ

作品作りのために、最近やたらとシャカシャカ鑢をかけている。一度やり始めると、つい2,3時間やり続けてしまって、気がつくと指先に感覚がなくなってたりしてアブナイのだが、アブナイと言えば、こう鑢をシャカシャカとかけていると、ああ、私はなんて邪悪な人間なのだろう、汚い心の持ち主なのだろう、となんとも暗い気持ちに押しつぶされそうになるのである。単純作業の反復で、一種の瞑想効果かなんかあるんだろうか。鑢を黙々とかけていると、目の前に鏡のようなものが現われて、そこにえも言われぬ嫌ったらしい気分が映し出されるのだ。感情であるからして、単純にその色を言い表すことはできないのだけれど、鑢の反復運動によって浮かび上がるのは、どうやらある種の怒り、もしくは嫌悪であるらしい。あの人、苦手。だとか。あの態度、嫌。だとか。やたら細かく、どこまでもうじうじと陰湿。しかも、その対象となる人物や出来事は現在の自分と何にも関係がなかったり、遠い昔のことだったり、勝手な想像によるものだったりして、何故そこまで嫌悪や怒りが燃え上がらなければいけないのか、謎なんだよなあ、これが。

とはいえ、怒りと私の関係は今始まったものではないらしい。思えば大学生くらいの頃、街中を歩く時はいつも何かに怒っていた。歩行の一歩一歩が怒り。視線の一つ一つが怒り。信号待ちしながら怒り。電車に乗って怒り。道行く人のスカート丈、キンキンした話し声、道端のゴミ、極彩色の看板、と、何でもいいのだが、とにかく世界に向って途方もなく怒り続けていた。よくもまあ、あんなに怒りのエネルギーがあったと思うのだが、どうやらこの訳のわからない怒りが、その当時の私の行動の原動力になっていたようである。やたらへらへらと笑っている人として知られていたが、しかしその裏であんなに怒っていたのだから、恐ろしい。心の中に生まれるちょっとした怒り。それが日常の基調音になってしまっていたので、自分が怒っているということすら気づかないことが多かった。何故、あの時、何にそんなに怒っていたのか? と改めて考えてみても、どうもよく分からない。自分にとって居心地が今ひとつよくない世界に怒っていたような気もするが、それは裏返すと自分自身に怒ってたんじゃないかなあ。どうにも不器用で、幼稚な自分への。その自分への怒りを、外の対象物へ向けていただけだったのかも。

さて、それにしても、私の怒りの元の元の元は一体何なのか、と、ここにくると話はそれほど単純ではない。心理療法家などに言わせれば、子供時代の体験か何かに怒りの原因があると言うかも知れないし、フロイトに聞けば「あなたのお母さんの話を聞かせて」とか例によって言われるのかもしれぬ。だが、まあ、怒りながらあっちにふらふら、こっちにふらふらしているうちに、いろいろと痛い目に遭ったり、また、長旅を続けているうちに何故かしら癒されていく部分もあったりして、最近は、道を歩いていても、前を歩いている犬の毛がフサフサだなあ、あの毛の奥のぽにょぽにょの肌にくっついているノミは犬のお尻がわいんわいん揺れるのと一緒に、柔らかい毛の海の中でわいんわいんサーフィンしているのかなあ、とかそういう妄想はとめどなく沸いて来ても、四方八方に怒りのビームを発しながら世の中の不幸を一身に背負ったようなマジ顔+眉間に皺で高速歩行、というようなことはあまりなくなった。角がとれたっていうか、もうヨレヨレ。

と、我ながら、いつの間にか随分心が平安になったなあ、と嬉しく思っている矢先の鑢。隠れたところに溜まっていた血膿を見せられるようで、ほんと胸くそ悪い。でもしかし、なんでかなあ、鑢がけ、好きなんだよなあ。どうやら、こうやってシャカシャカやりながら生臭い血膿と直面していると、もうものすごくイヤ〜でゲーッなんだけど、その生臭く、堅くこびりついたものが、鑢の運動と一緒に、削ぎ落とされて、少しずつ何かが奇麗になっていくような気もして。

鑢がけに限らず、磨くっていう運動は、何がしか精神の浄化作用があるのではないか、ってなことを考えつつ。鍋磨くとか、床磨くとか。その磨く行為と一緒に心も磨かれるのですよ。合掌。なんていうと安っぽいスピリチュアリズムのようでもあるが。永平寺の修行僧さんたちも、黙々と床磨いてたもんなあ。あの人たちは、たぶん鍋も磨くと思うな。既に持っているものだけでできるから、磨きは面白い。新しいものを手に入れるのではなくて、今あるものの余計な汚れをそぎ落とし、目の粗い原石から宝石を見つけ出す。そして、そのモノその人の中にもともと隠されている美だけを残して、余分なものを少しずつ取り除いていく。ぼちぼち、人生も磨きフェーズに入ったのかなあ、などと、感慨にふけりつつ、鑢でまだシャカシャカやりつつ。ふううっ。なんかちょっとスッキリ。マジで。

名付けて、「鑢ヒーリング」。まあ、でも何か削って作るとかいう目的がないと、つまんないでしょう、鑢。ってことで、「磨きヒーリング」くらいにしとくか。ちょっと前にお掃除開運などというものが流行っていたけれど、掃除ってのは磨きの要素があるから、ヒーリング効果が高いってのはなんとなく頷ける。ポイントは、磨いてる瞬間は磨きにとことん集中すること。そうすると、出て来ると思いますよ、あなたも膿みが。ダラダラと。。。そしてその後はなんとなく気分スッキリ。もしかしたら、世のおねーちゃんたちが、爪磨いてんのも、このバリエーション? まあ、何かを磨いて怒られるってことは少ないので、磨くものがない方は、とりあえずシンク、化粧鏡、焦げ鍋、とげ抜き地蔵などを磨いてみてはいかがでしょう。この磨きヒーリング、あんまり凝ると、次は「仏彫」などの世界に行ってしまいそうなので、あくまでも磨くものはアートオブジェなどにとどめておきたいとこですが。まだこのように膿みがぐぢぐぢしてるような段階では、どのみち削っても削っても仏様はお姿を現さないことでしょうし...。ああん。もうちょっとつるつるにならないかしら、まだまだ削る所がたくさんあるなあーっ。シャカシャカ。シャカシャカ。