いらない/は切って捨てましょう

豚インフルエンザ蔓延。何とも不安な毎日ですが、実際のインフルエンザの被害の広がりに加えて、心配なのが風評被害の拡散。何しろV市はメキシコからのJAL直行便の寄港地だったりするので、V市から来たというだけで日本では白い目で見られちゃうんじゃないか、とどうも落ち着かないのです。こういう時に鎖国時代から日本人のDNAに埋め込まれているらしき外国人への恐怖感や差別意識がむくむくと頭をもたげてくる。それまで曖昧だった「私たち」と「彼ら」、の間にもう容赦なく線をずびっと引いちゃって、こっちはセーフ、あっちは穢れ、みたいな図が頭の中に突如出現するんですよ。恐ろし。まあ、実はこれ、日本人だけじゃないらしいですが。今やメキシコ系が数的にはマイノリティーではなくてマジョリティーになりつつあるアメリカでも、今回のような非常事態になると「メキシコ人、迷惑。」みたいな普段は口にしなかった(が、たぶん心のどこかに隠れていた)差別意識が芽を吹いて来る土壌は十分にあるらしい。

日本なんて、たぶんメキシコがどこにあるのかもよく知らないような人でも、「メキシコ人、迷惑。」と今や思っちゃったりしてるだろう。何か今回のことが彼らの責任であるような口調で。しかもメキシコがどこにあるのか知らない人たちは、外国人っていうのを十把一からげにまとめて考えるので、「メキシコ人、迷惑。」が「外国人、迷惑。」にすり替わるまでに3秒とかからない。うちらは衛生的だし、健康に気をつけているし、先進国だし、第一お互い素性の知れた日本人同士。素性の知れぬ、どこで何をやっとるのか分からないような外国人とは訳が違うと、どっかでちょっと思っている。思ってない? そこのアナタ。ほんのちょっと、マジちょっとだけ、そう思ってない? この日本人/外人の間のスラッシュが全く存在しない日本人っていうのが本当にいるのかどうかは謎。それとも、非常事態に際して、またしても心の中に浮かび上がって来たこのスラッシュに困惑している私の方が変なのか。

海外に長く住んでいると、それだけで差別意識の薄い国際人だと勘違いされやすいんだけど、鎖国DNAは13年も海外で生活した後ですら、時々むっくり目を覚まして、ある朝突然スラッシュを引き始める。日本人はみんな多かれ少なかれレイシスト(人種差別主義者)だよなぁ...、と元日本在住の外国人が呟いたことがあったが、日本はマジョリティーが日系日本人の国だから、仕方ないよな。「自分たちグループ」と「それ以外」の間に/がするりっと入り込みやすいんだよな、単一民族国家。V市なんか「自分たちグループ」を作っても、他にもたくさんの「自分たちグループ」があるので、一対多の関係にならないし、そもそもお父さんが白人系、お母さんが中国系なんていう子供はどこの「自分たちグループ」に入ったらいいのか分かんなくなっちゃう、といった混合が日々起こっているので、滑り込もうとして滑り損なった/が街中のあちこちに散乱しているという具合。視点が一つではなくて複数っていうことかな、コレ。私はまだ半分くらいしか視点の複数化が進んでいないので、鎖国DNAと複眼とがいつもバトルして/が半分くらい滑り込んだ辺りで詰まって難渋しているっていう、そんなところだなあ。

まあ、どっちが正しいとか、どっちが偉いとかいう問題でもないのだが、世界の流れはどちらかというと複眼へと向っているんだろうし、日本も鎖国DNAだけではやっていけないところまで来ているんじゃないかな。サムライの心を持ちつつのグローバル。いらない/は居合い抜きで切って捨ててしまえ! 鎖国DNAは、世界で何か非常事態が起こっているとパタンと扉を閉めて、息を潜め、ねえねえ、自分だけ助かればいいじゃん、ね、そうしようよぉ〜とダダを捏ねるのだが、それをやっちゃうと、大人な世界の一員にはなれなれず、一人でおこちゃまランチでも食ってなさいと言われてしまいます。鎖国DNAって怖いよ。海外に出た日本人っていうのさえ、微妙な立場に追いつめちゃったりするからね。外国に住んでるっていうだけで、なんとなくちょっと色眼鏡でフフンと見るんだよこのDNAの野郎。あんた、ヨソもんの仲間だろ、みたいな斜め視線で。いやだな、豚インフル。差別しないでね、ジョン万次郎。なんともなあ、平和であればいいのだけれど、何か起こると、///とスラッシュの嵐。こんな時こそ、自分の中の国際感覚と対話して、余分なスラッシュを切って捨ててみたいものだなあ、そうあって欲しいものだなあ、ともの想う、朝。