逸る心

なんでも脳の活性化にいいってんで。毎朝10分くらい座禅、らしきことをやっている。本当は20分くらいやると良いらしいんだけど、どうもせっかちでゆっくり座ってられない。座禅によって秘められた脳力が発揮されつつある、のかどうかはよく分からないのだが、はっきり分かったことが一つだけある。逸る心。そう、いつも私の心は前に前にとつんのめっているのです。

目は半眼。鼻から息を深くゆっくりと吐く。そしてまたゆっくりと吸う。これを何度か繰り返しているうちに、意識は鏡のように平らになり...ってのが本来なのだろうが、これが波打つ波打つ。で、今座り始めたばかりなのに、もう止めることばっかりを考えている。そこをぐっと我慢して、今という時間の中にどっかり座っている感覚を呼び戻そうとするんだけど、これがもう、ものすごく難しい。「よし。1から100まで心の中で呼吸の数を数えてみよう」なんていろいろと工夫するのだが、まず3くらいまで数えたところで、既にじれったくなってくる。サッサと終わらせたい気持ちがぐいぐいと後ろから私をつんのめらす。心ここにあらず。心はいつも3歩くらい先につんのめっている。

もしかしたら、子供の頃からピアノの練習をさせられたからかなあ。などとぼんやりと考える。音楽の楽譜ってのは、自分の今弾いているとこの一瞬先を読んでいないと間にあわないという類のものなので、あの楽譜を見ながら音楽を演奏するという訓練のせいで、私の心のつんのめり癖がついたのかもしれぬ。いやまてよ。その前から、文字通りよくつんのめってコケて地面に頭をぶつけたりもしていたよな。赤いスカートに二つちょんまげのヒヨコ時代からタンコブが絶えず、時には包帯のぐるぐる巻き事件もあった。あれも心のつんのめりが原因だったのか。それとも単に頭がデカかったのか...

...というところまできて、そうか、頭でっかちってのがいかんのだな。と気がついた。
このつんのめって先へ先へ行こうとしてんのは頭だな、こいつめ。
体はさっきからじっと座ってんだもの。心だとばっかり私が思ってたものの正体は頭だな。この頭っていう駄々っ子が、さっきから手をぐいぐい引っ張り、背中をぐいぐい押し「ねえねえねえ。早く早くぅ〜。インターネット。インターネット。メルチェック。メルチェックぅ。しようよお。今すぐ。ね、ね、ね」などともううるさくって。それで、仕方なくそいつの引っ張って行く方についていくと、大抵は時間の無駄、あっちこっち引きずり回され、あわわわわっと言ってるうちに一日が過ぎる。とにかく、一つのことやってると、もう気持ちは次だから、なんだかいろんなところを通ったようであるが、何一つはっきりとは覚えていないことが多い。んもう、全く。こんな風に生きて行くものなのかねえ、脳に支配された私たち。

今の、この、まさにこの、TVにはNHKのど自慢のおっさんの熱唱が映り(こっちでも映るんですよ)、とんでもなく洗濯物日和の日曜の朝、空気が先週よりもずっと乾いてる本日10時33分に座るってことができたいものだなあ。なんて大袈裟な溜息をつこうとしたら、「コンピューターを捨てよ街に出よう」という声がどっかから聞こえた。

そうなんだよなあ。このコンピューターってやつがつんのめり助長の元凶。こいつのせいで、今よりも一瞬先が気になるというもともとせっかちな性癖に磨きがかかり、もう病的な域に入りつつある。V市の携帯電話サービスが最低・高額でよかった! この上、外に出た時にまで一瞬先を検索でもし出そうもんなら、転がり度つんのめり度はもうとどまるところを知らず、完全に私の人生は崩壊に向うだろうからなあ。iPhoneなんて絶対に買わないぞ。

ということで、本日はこれにて終了。
コンピューターをパタンと閉じて、街に出ちゃうのである。
つんのめらずに、のんびり散歩なんてしちゃうもんね。
とはいえ、そうだ、いろいろとやんなきゃいけないことが溜まってる。
だめだ、急がなきゃ。
まず、あれをやって、これ、それからこっち。
よし、今日は積極的につんのめるぞ。ってか、つんのめらずに全速力で疾走。