猫かぶった大和撫子:サバイバル編

最近よく聞く言葉に「草食系男子」とかってのがあるんだけど、これはひと昔前に流行った「フェミ男」ってのとどこが違うんだろうか。なんてことを思ったのは、昨日V市の秘密の花園を散歩中に目の前を歩いていた日本人カップルの行動を見て「ほう」と溜息が出たから。可愛らしい二人連れ、女の子はブーツ姿に髪を長く垂らし、男の子もなかなかカッコいい。お土産ショップなどを見て、何やら会話していたその二人が並んで去って行く時に、男の子は女の子の肩に「そっと」手を添え、そして彼女の髪を「そっと」撫で、更には髪の毛に「そっと」接吻したのであった。

おお。日本男子。なかなかやるじゃん。ちょっとぎこちない感じでもあるが、ま、そこは大目に見てやろう。

この青年は恋愛に積極的であるからして、きっと世に言う草食系男子とは異なるものなんだろう。でも、物腰はかなり柔らかいし、見た目はフェミ系。お洒落して、髪の毛なんかに気を使っているらしいところがそう見えるのかもしれないが。大まかに肉食か草食かを分ければ、やっぱりどっちかっていうと草食系かしら。女の子の方は...と、どうやらいわゆる草食系女子ではない模様。だけど、肉食系ギラギラエネルギッシュなタイプからは程遠いので、雑食系カップルということになるのかな、これは。

それにしても、草食系っていう言葉、そもそも草食動物に失礼だよなあ。草食動物は主食が植物系だってだけで、フツーに異性に興味あるだろうし、動物としてやることはちゃんとやってて、思いっきりバランス取れてるわけだしー。草食動物のウサギやヒツジなんか、肉食獸に負けず劣らず性欲満々で子だくさんだしー。草食系男子も、その優しそうな物腰、血液サラサラベジタリアンな雰囲気、ガツガツしすぎない品の良さは保ちながらも、自分は草食系...まあ植物みたいなもんですし...なんつって満足してないで、人間もまた欲望も本能もある動物だってことをもう一遍思い出したらどうかしら。んもう!

なんてことを言っても、草食男子には暖簾に腕押し。ほっといて下さいと言われるのが落ちなんだけど、肉食寄りの雑食獸である私は、草食系にはついつい厳しいんだな、これが。

昔は私も草食系だった。硬質な鉱物みたいだとか、汗をかきそうにないとか言われて、いい気になっていた。男子に興味がないわけでもなかったが、自分の周りに築いた小宇宙の透明な領域に障害物が入り込んで来るのがどうにも許せなかった。自分でコントロールできるものだけがそこにある、完璧に調和した世界。その調和が乱される予感のする場所や人には絶対に近づかなかった。その当時、どんな男性が好きかと聞かれると、思いつくのはやはりどこか儚げな草食系男子。細くて色白で、性欲があんまりなさそうな方がいい。汗なんかかいてない方がいいし、体毛なんてない方がいい。男性を感じさせない男性。できれば、実際の体がないくらいの男が良かった。精神系男性。なんだこりゃ、もうここまでくるとプラトニックラブなんてのすら通り越して、霊界恋愛の世界である。いつかそんな男性(幽霊か!)に巡り会うのかしら、それともこのまま自分の完璧な小宇宙で、静かに年を取って行くのかしら。それでもよいな、なんて自己完結していた。はずだった。

ところが!

人生には裂け目というものがある。ある日、突然目の前に現われた裂け目に吸い込まれ、気づいたらフランダースの犬の街の、屋根裏部屋の堅いベッドの上で寝ていたのだった。くるくる回りながら降りる螺旋階段を一歩一歩ギシギシと降りて、高さ3メートルはある重い木の扉を開ける。知らない宇宙の匂いがした。恐る恐る街を歩く。まず目に飛び込んで来たのが全裸の男達のポスター。女性向けストリップクラブかなんかの宣伝だったのだろうが、公共の場でいきなり筋肉ムキムキの尻が目の前にどどーん。その辺りから既に、私の最高に完璧な小宇宙は突然拡張を始め、やがてその均衡を保ちきれなくなって、破裂。ああ、ここは肉食獣の王国なのだ。それまでの自分が檻の中で護られた動物園の草食動物に過ぎなかったことに気づいて、驚愕。ううむ。知らなかった。世界がこんなに広かったとは。どうしよう。とにかく、何かガツガツと喰ってみることにした。全く読めない言葉がメニューに並び、ウエートレスのお姉さんの胸元が深く開き、短めのスカートからはストッキングなしの素足が無造作に伸びる街。ウサギ肉のステーキをがつがつ口に突っ込む。よし。絶対に生き延びて見せる。と、目の中に炎がちらちらと燃えていた、はず。ってその時点で既に肉食への道ははじまってたんだな、実は。

肉食獣の群れに草食獣が一頭紛れ込む場合、草食獣が生き延びるには、とりあえず虎の皮を被って、肉食らしい振る舞いでカモフラージュするに限る。バレたら命が危ない。弱肉強食のサバイバル。それから私は、日々、肉食獣に侮られぬように、信号待ちをする時でさえ腰に手を当てて地面にガッと突っ立ち、「おらおら、どこからでもかかってこいや!」ってな迫力。椅子に座る時は、ちょこなんと前屈みに座ってると草食系だと見破られるので、とりあえずふんぞり返る、などの演出を行ってたんだけど、知らず知らずのうちにそれが身に付いて、日本に戻る度に「うわあ、暑苦しい」「ワイルド...だね」「その腕の太さ...何かスポーツでもやってるの?」などと襲いかからんばかりの野生臭に周囲が怯えるような雑食・肉食系へと変身を遂げたのである。

まあ、保身ですね。最初は。でもだんだん、雑食系肉食系いいじゃん、カッコいいじゃん、と思うようになったのであるから、振る舞いから心が生まれるというのは本当らしく、恐ろしいことでもある。そもそも、当時一緒に仕事をしていたWもしくはJといった大物アーティスト連は、まさに究極の雑食・肉食系。何でも喰って吸収してやる、という迫力とエネルギーの塊ような人々だった。靴脱ぐと靴下に穴が開いてるような男達で、それを恥ずかしがりもせず「この穴が重要。ここからいいエネルギーが入って来るんだぜ!」とか真顔で言ってのけるような輩である。風邪で鼻水をダラダラ流しながら「うーん、風邪引いた時に鼻思いっきり擤むと気持ちええなあー。ぶう。ぶう。ぶう。ぶう」とかやっちゃう奴らである。カッコいいじゃないか、この男ら。だが、こういう手合いに対してはこっちも全身全霊のパワー炸裂でぶつかって行かないと、あっさり喰われちゃうか、もしくは、こんなマズそうなものはいらんと、迂回して挨拶すらしてもらえない。人間として認めてもらえないっていうより、動物として認めてもらえないってか。うーん、悔しい。ってなわけで、それまで眠っていた動物的本能が、F犬街で目覚めたらしい。

一度目覚めた本能は消えないらしく、被っていただけのはずの虎ウエアもいつの間にか体にフィットしちゃったりして、雑食・肉食系がすっかり板についてしまった。身を以て体験したことによると、日本動物園を出て、野生の王国での生息を試みる場合には、雑食・肉食が基本。じゃないと喰われちゃいますサバイバル、ってことらしい。とはいえ、猫かぶった大和撫子。やっぱりどこか体に染み付いてる植物系の部分と、雑食・肉食なええい、やっちまえーっていう部分とをどう同居させるかがテーマですねえ、永遠の。