耳。心。涙。

知人から、「コレ、もう知ってるかもしれないけど、流行モノなんでとりあえず」と、とあるYouTubeのリンクが送られて来た。何だろう? 全く何の心の準備もないままにリンクをクリック。ん? これは? 何か外国のテレビ番組のようだけど。え。お。えええっ。おおおおっ。まさか。えっ。ええええっ。ひゃあ。ぐわわわわん。はああああああっ。

その辺りから涙が零れ始め、拭き取っても拭き取ってもやたら出て来る。ああ、周りに人がいなくてよかった。これは公共の場でも我慢できそうにないくらいの強烈な涙パンチだもんな...などと、まだ目尻を拭いながら。もう一回プレイバック。さすがに2回目は泣けないだろうと高を括ってたら、あ、やばい。来た。また同じ辺りでどどっと熱いものが。むしろ一回目の時よりも涙の出具合がいいくらいだ。涙が出る時って、胸がぎゅうううっと締め付けられるような感じになるけど、一度カラダが「泣きギア」に入ると、しばらくは涙が止まっても同じギアに入りっぱなしらしく、ちょこっと突っつくと出るわ出るわ。

さっきから手で涙を拭っているのだが、もう拭いきれないくらいの水量に至って居る。鼻水がずずずっともう少しで垂れて来そうな感じ。汚。うっ、ひっくひっく、ずるずるっ...となんとか2回目も無事見終わり、もう十分泣いたんだからそこで止めとけば良いものを、この辺からはもはや人体実験心理実験のノリで、くどいけどもう一回再生。もう2度も見ているので、さすがに先が読めるし今回は泣けないだろうな。と、思っていたら、えええええっ。また泣けるよ。どういうことだ、コレは。えーん。えーん。

知人が送ってくれたリンクはBritain's Got Talent というイギリス版アメリカンアイドル風素人参加番組にSusan Boyleという47歳のスコットランドの片田舎から出て来たおばさんが参加した、その時の映像(興味のある方はYouTubeでSusan Boyleと入れると出て来ます)。このおばさん、独身で無職、しかも顔立ちがいわゆる世にいう美人のカテゴリーの逆を行くようなすごい迫力で、しかも思いっきり垢抜けない。というわけで、審査員も会場の観客も最初から「なにこのオバサン」モードで嘲笑すら浮かべてるんだけど、彼女が一旦歌い出すと、これがとんでもない美声なのだ。しかも、歌ってる歌が『レ・ミゼラブル』の『夢破れて』。彼女のこれまでの不遇な(って、別にそうでもないのかもしれないけど)人生と歌の歌詞が微妙に重なり合うような調子で、その澄み切って力強い歌声がこっちに向って怒濤の如く迫って来る。すごい。辛口審査員も、思わず目を潤ませてスタンディングオベーション。観客も総立ち。なんて映像なのである。

なぜ、この映像でこんなに泣けるのであろうか。歳とって涙腺弱くなっちゃったんだろうか? いや、やっぱりそれだけでもないらしい。

不美人。中年。独身。無職。このどれかと自分を重ね合わす人は多いだろう。ってことはスーザンは大抵の人の心の中にいるんだな、きっと。ただ、なぜか私たちは彼女を最初っから素直に応援したりはせずに、ちょっと捻くれて、むしろ彼女がコケることを密かに期待していたりもする。なんなのかな、この嫌らしい感情は。自分の劣等感の裏返し? それとも彼女と一緒に夢を見て、共に夢破れることが怖いからなのか。年増だからいけないのか、ブスだからいけないのか、それとも、自分の身分もわきまえず、おばさんがテレビにしゃしゃり出て来ているってことが許せないのか。なんだろう、このワダカマリ。冷たい観客の視線。そんなに大事ですか、顔。そんなに大事ですか、若さ。ダメですか、47歳。セクシーで垢抜けていて、お洒落でお肌ぴちぴちでなくっちゃ、ダメですか。まあエンタメビジネスであるから、容姿も才能のうちってのもなんとなくは分かる。でもね。曲がりなりにも歌手だよ。うたいて。歌が上手い、ってことが至上の判断基準になって本来は然りなのに、さ。

悲しいかな、歌い手に限らず、ステレオタイプ化された若さ、容姿、セクシーさに過剰な価値が付与されちゃうのよね、この世の中。マスコミによる平べったい価値観が、毎日毎晩ボクたちワタシたちの脳を攻撃。いつしか思考回路を狂わせるくらいの深いところに刷り込まれるものだから、スーザンが出て来ただけでつい白い目で見るし、不美人やおばさんはそれだけでもう落ち込むし、美人政治家なんていう意味不明のものがもてはやされるし、なんでもかんでも「美人XX」なんて美人の二文字を頭にくっつければ価値が上がるって思い込むし。美人作家なんてのも謎でしょ? なんで作家が美人である必要があるんだか。で、こういう平板な価値観の更に怖いところは肝心の実力の方は問われなくなるってことだ。質の低下。文化の枯渇。でも、世の潮流に逆らって、この美若礼賛の呪縛から逃れることは、なかなか難しいんだな、これが。

なのにですよ。スーザンはやってくれた。不美人で中年で独身で無職だけれども。彼女の歌はバリバリの本物だった。歌の力が、全てを凌駕した。皆の心の中にあったわだかまりが消え、美若礼賛のバリアが消え、シニカルな視線が消え、ただ、そこには極上の歌声と、それを受信する耳、そして震える心だけが残った。本物はやっぱり強かった。だから泣ける。人間の勝利。だから泣ける。歌の力の凄さ、崇高さ。だから泣ける。アートが何かを変えた瞬間。だから泣ける。っと。ちょっと大袈裟になってきたけどね。いい涙だよ、コレ。

めざせ本物。真の花は散らないって世阿弥も言ってたもんなあ。むしろこれからは不美人や中年の方が、美人XX、若手XXなどと頭に二文字をつけられて手軽に消費される心配がないだけ、ラッキーという世の中がやってくる。に違いない。

スーザンは見るからに無欲で純真って感じの人で、その人柄もまた歌の透明度を高めているようである。汚れたエンタメ界に舞い降りた天使だったわけなんだな、実は。本当は彼女が、会場の中で一番美しい人だったのかもしれぬ。一夜にしてスター、というパターンで、どうやら歌手デビューも近いらしいが、世俗の垢に汚されぬことを願う。間違っても、整形美人のくびれグラマーに変身して登場とか、そういうノリにだけはなりませぬように。