書くつもりなかったのにな、こんなこと。

毎日記事更新って大変じゃないですか? 楽しいんですか? なんてメッセージを頂いた。書く方としてはものすごく書きたい話があることもあるし、何を書いたらいいか全く分かんないような日もあるのだけれど、不思議なことに、ものすごく書きたいと思っていることが必ず上手く書けて面白くなるわけでもなく、全く書くことがなくて無理矢理捻り出したようなところからとにかくうねうねと続けて行くと、予想もしなかったような言葉の世界が生まれて来て、ちょっと自分でも面白くなったりすることもある。自動筆記という程に無作為ではないけれど、インプロに近いんじゃないかな、これ。

さて、インプロと言えば、F犬街で親方と一緒に怪しい美術演劇を創っていた頃、最も頻繁に用いられた手法がこのインプロであった。稽古場である古いシネマに行くと、毎日日替わりでいろんなインプロをやらされた。「今日は、いろんな歴史上のキャラになって、そのキャラが死ぬとこやりまーす」とか、なぜか重そうな金属製の酸素ボンベがどかんと舞台の上にのっかっていて、「コレ使って何かやれ」とか。何かヤレって言われても、ねえ。その頃、インプロなどというものに不慣れであった私は、大体いつも出遅れて、他のパフォーマー達があの手この手でオモロイことをしているのを呆然と見つめていることが多かった。やるなあ、さすが。でも、冷静に眺めてみると、それほど大したことをしている人はいない。人間の考えることなんて、タカが知れている...のかな。大体、最初の方に出て来るネタは、誰でも思いつくようないかにもな内容のものが多い。でも、15分くらいそれを続けていると、誰でも思いつくようなネタは出尽くして、一度壁にぶつかる。阿呆すぎて普通はやらないようなネタ、どうしようもない下らないネタ、さっき一度出たネタのバリエーション。もうこれ以上は出ないだろうという最低ネタ、シモネタなども出尽くして、ぼちぼち止めるのかと思いきや、えええっ、まだ続けるの?

F犬街の親方(アート修業先のお師匠)は、インプロの帝王のような方であった。くどいんです。もう、いやああああっって叫びたくなるくらい、何度も何度もやらせるんです、インプロ。もう脳の中の顕在意識が全部出尽くして、空洞になって真空になって、きゅううううって萎んで、歯ぎしりしてるようなとこまで押す、押す、押す。そのうち、やってる方も疲れて来るし、投げやりになるし、なんでいつまでもこんなことやらせるんだっつーの、というやり場のない親方への怒りも沸いて来るし、人として生まれ出て、何の因果でこんなしょうもない。世の中の役に立ちそうもないことに若い命を費やしてるんだか、と自分にも腹が立つし、... という辺りで、実は脳はあまりのストレスに活動を停止。もう感情とか情動とか本能とかいうレベルがむき出しになってくる。たぶん、この一線を超えさせるのが、親方の目的だったんですなあ。悪魔のようである。人間を人間とも思っていないな、この男。ちくしょう。まだやらせるのか? 泣きたくなるぜ。ぐぐぐっ。と、感情が高ぶり、攻撃本能は親方に飛びかかりたいくらいのところでギリギリ爆発寸前。よおし、やってやる。馬乗りになって、親方なんて締めてやる! と、ステージから飛び降りようとするのだが、時既に遅し。体力がなくなっているので、ついコケてしまった。と、そんな瞬間に「よし! それだ」とかいう親方の声が響く。はあ〜ん? と、お口あんぐりなこちらにはお構いなく、その、脳の高等機能からは一番遠い所にあるような「失敗」の瞬間から生まれた、何とも意味不明の動きが、作品の中のダンスシークエンスに取り入れられたりするんだな、これが。で、それが案外面白かったりするんだな、これが。

親方から学んだこと。アート界では(現実界でも?)普通にお行儀よく脳が考えることが必ずしも役に立たないってこと。頭の中で組み立てたアイディアが、実際にやってみると全然面白くないことってよくある。脳は既知のものや経験済みのことが好きだから、まったく新しいものを創り出そうとする時には、脳のパワーが障害になったりもする。しかも、アートが扱っているのは、知の部分ではなくて情の部分だったりもするわけなので、脳幹の深い所に揺らめいている黒い影を取り出す必要があったりするのだが、考えても考えても、いや、逆に考えすぎると、こういうのは取り出すことができない。そこでインプロ。とにかく体を動かしてやってみること。なんてことをタイプしているこの指と、思考が連動しているとはもう思えないくらい、書くつもりもなかったことを今書いてたりする自分がいるわけだが、まあ、こんな脳の奥のゴミ箱から引っ張り出したようなものを読まされる方はたまらないだろうけど、書いてる方としては、はあ、こんなことが脳の裏側に隠れておったのか、と思うと同時にどうやら脳のどこかがこちょこちょと刺激されているらしく、一種のマッサージ効果もあるみたいで、確かに辛いというよりは楽しいかな。

とはいえ、これまた親方から学んだことだけど、インプロから出て来るものは99%クズであり、99%を捨てる覚悟がない限り、本来それをやってもしょうがない。インプロの後には情け容赦ない選択、切り捨て、濾過が行われるべきなのであって、それをそのまま世に出すなどということはしてはならない掟である。なのにその99%をも読まされている諸君。苦しいことであろう。申し訳ない。だが、もしかしたら、そこに1%のダイヤが紛れているかも。今日それが見つからなくても、きっと明日は! そう思うと、たぶんあなたは明日もまたついこのブログを見てしまうことでしょう。砂丘の中の一粒の金。塵溜に咲く一輪の花。それを自分でも見つけたいから、脳を逆さにひっくり返したり、ぎゅうぎゅうに絞ったりして、私もまた毎日書いてしまうでしょう。これからもヨロシク。