おしくらまんじゅう押されてなんぼ

音加庵の仕事場バージョンNekaa Labの存在を知らない、もしくはその実在を疑っている人が多いのだが、ふっふっふ。あるんですよ本当に。所在地は各種アーティストが雑居するアーティスト・スタジオビル。ビルって言っても木造2階建て。街全体が新しいV市では、歴史的建造物に入れてもいいと思われるくらい時代がかっている。階段はギシギシ言うし、部屋の壁と床が微妙に歪んでいて、どこにも直角がないという異次元空間。しかも、切り分けたパイ形の△の空き地に建っているので、どのスタジオも変な形...。更に、縁の下にスカンクの親子が長年住んでいる(らしい。異臭で分かる)。でもね。2010年冬期オリンピックの選手村から、なななんと徒歩3分! ロケーション抜群。地上げ屋がものすごい値段を吹っかけて交渉して来たらしいが、ビルの所有者のギリシア系移民のおっちゃんが、「ワシは絶対に売らん! この建物は永遠にアーティストのもんだ」と一刀両断に切り捨てたという武勇伝のある筋金入りのスタジオビルなんである。えっへん。

建物の中のスタジオの数は全部で16くらい...かな。ジュエリーデザイナー、画家、タイル職人、お土産系クラフト作家、陶芸家、看板屋さん、サウンドスタジオ、商業写真家、家具職人など、いろんな方面のアーティストがここで活動しているらしい。って、実はあんまり会ったことないんだよね。下の部屋の家具職人のにーちゃん達は、やたら騒がしいが...なんて思ってたら、スタジオ全体のミーティングをやるので来てくれっていう紙切れがドアに貼ってあった。なんでも、オリンピックに向けてこの複合スタジオの存在を世に知らしめ、売り上げ倍増を狙いたいので、みんなで協力できないか、というそんな話らしい。

さて、ミーティング。フレンドリーに自己紹介してきたお姉さんに「あなたのビジネスは何?」とまず聞かれて、ぐぐぐっと当惑。大阪人に「もうかりまっか」と挨拶された時くらい当惑。そうだよな、わざわざスタジオ借りてまで仕事してるアーティストってのは普通もっと商売熱心だよな。と、いきなり反省。ヨーゼフ・ボイスも対価を受け取るのはアーティストの権利であるばかりでなく義務ですって言い切ってたもんなあ。とはいえ、冷静になって考えてみるとアートっていうものの中には、クラフト系の生産->販売が直線矢印で直結してるものと、生産と販売の間に魔のトワイライトゾーンが挟まっちゃってて、時には迷子になって帰って来れないようなのとの2種類があるってことらしく、フと見れば「画家」と名乗り、わざと塗り付けたのかしらと思うくらいびっしり絵の具のついたTシャツを着たもの静かな女性は、あんまり商売に熱心そうでもなかった。

さて、さて、ミーティング。街の他の場所にある複合アーティストビルは、ビル全体としてのイメージ戦略に熱心で、共同のウェブサイト作ったり、看板出したり、宣伝したりしてアートな雰囲気を世にアピール。お商売の方も、社会への文化的貢献もうまくやってるのだそうだ。そんなことがここでもできないか、という話だった。

と、ここまで読んで来た人は、さすが、海外で活動している人は違うなあ。英語でのミーティングなどにもさらっと出席。まるでオリンピックの日本代表選手みたいに、外国人を相手に丁々発止と相談だよ、議論だよ、ディスカッションだよ! なんて、何かとっても素敵なものを想像するでしょうが、よく見て下さい、冒頭からなぜかずっと押し黙っている人が一人グループの中にいますよ。そう、そこそこ。え、この人誰かって? いや、恥ずかしい。それが私です。そう。出ました恒例の「無口な日本人」キャラ! 小学生の頃に参加した子供サマーキャンプで「よくおしゃべりしたで賞」を貰い、口から先に生まれたと言われ続けていた人がですよ。なんなんでしょう、この豹変。うっ、また出たか...と持病の発症のように苦々しく思いながらも、この迷惑キャラは消えてくれず、なかなか皆の議論の輪に入っていけないで苦悩する私。とりあえず他の人の意見に相槌を打ったり、意味不明な笑顔を浮かべたりして、なんとか存在をアピールしようとするのだ、が。

それにしても、みんなよく喋るよなあ。私以外にも英語が母国語ではない人が混じっているので、言葉だけが理由でもないらしい。日本人だからなんだろうか、この妙な気後れ。遠慮。それともこれは性格なのかしら。一対一のお喋りは得意なんだけど、学級会の発言はやっぱり最後までしないタイプだったもんな。みんなの言っていることはちゃんと聞いてるし、自分の中でいろいろアイディアが出て来てたりもするんだけど、なんかなあ、発言するキッカケが掴めないんだよなあ。でもしかし、何も言わない人というのは、日本では「沈黙は金」などと一目置かれたりするのだが、海外ではもうどうしようもなく影が薄くなる。それにしても、みんなよく喋るなあ。よく聞いてると、さっきから同じ事を3回くらい言っているよ。議論はなんだか同じ当たりをぐるぐる回っているようでもあるんだけど、そんなことはお構いなく、どんどんみんな口を挟む、挟む。

やばい。このパターン。既に議論は30分くらい経過してるのに、私はまだ一言も発言してない。完全に影がなくなって、ひゃあ、幽霊よりも薄くなってますよ! という辺りで、ようやく覚悟を決め、ぐぐっと息を詰めて清水の舞台から真っ逆さまに落ちながら「...建物の看板もええけどさー、折角だから、ロゴつくってデザイン戦略統一したらどお」なんて口挟んでみた。貝が突然口開いたようなもんだよ、みんな一瞬ギョっとした。みたいだった。おおお、お前まだ生きてたのか! みたいな衝撃である。おととい生まれたばかりの嬰児が突然立ち上がって「母さん、株を買うならIT系がおすすめだよ」と言ったようなもんである。またやっちゃいました。でもまあ、最後まで何にも言わないよりはいいよな。死人が生き返った訳だしさ。そう言えば、F犬街でもカミカゼガールって噂されてたもんな。ずっと黙っていて、ずっと我慢していて、思いもかけない時に突然襲撃。なぜ、いつもこうなっちゃうんだかな。この、謎のパターン。

文化の違いなのか、内気な性格のせいなのか、それとも言語の問題なのか。たぶんどれもちょっとずつ本当なのだが、外国人の議論の仕方を見ていて気づくことが一つ。同意していても、取りあえず発言するという態度。日本だと、賛成ならば特にコメントしないのが普通なんだけど、こっちの人は賛成だと言いながらも、もう一度そのことを自分の言葉で言い直すことをたくさんやってるみたいなのだ。みんな黙っている=賛成、という日本とは正反対で、賛成の意思表示をすることがディスカッションでは重要らしい。疑問や反論も、それが沸いた時点でさらっと切り込んで行くのがうまい。そうやって賛成、反対、両方の意見をちょっとずつバリエーションをつけながら、何人もの人が自分の視点で言い直していって、結果として集団としての共通の了解点にうねうねと到達していく。イメージとしては、おしくらまんじゅうみたいな感じかな。みんなで押し合ってるうちに身体感覚も含めて共通の了解に至るっていう、そんなノリ。

内気かつド日本人である私は、取りあえず賛成している限り、何にも言わずに議論の経過を観察しちゃうし、ムムっと疑問が沸いた時にも、その場で即座に切り込むのが苦手。おしくらまんじゅうにとにかく参加すること=ディスカッションの奥義だってことが感覚として分かっていないので、自分はちょっと高見から見物していて、最後の方になって突然それにいちゃもんをつけるような形になりがちなのだ。他の人にすれば、ゲームに参加もしないで、タイムアウト寸前で爆弾発言かよ、何を考えてるのか分かんねーヤツだな、ってことになる。

よし。分析完了。海外におけるディスカッション=おしくらまんじゅう説。次のミーティングではとにかく土俵に乗ることだけを考えよっと。議論の最初の方で「今の意見にマジ賛成!」とか、もう何でもええから初球バント、もしくは出端での胴一本を狙う。取りあえずこれを取っておけば、あとはリラックスできるし、亡霊の類い、乳幼児バブバブ系にならずに済むもんね。うう。とはいえ、ああああ、考えただけで今から心拍数が上がっちゃう。いや、ここを超えずして何をか超えんや。ノーと言える日本人に続いては、出端で一本な日本人。もうぐいぐい押したり押されたりキモチイイーと叫んでしまう日本人。これだ。もともと底力はあるので、きっと外国人連はその絶妙な間合いと筋肉のぼわわん感に感動するでしょう。よしっ。今日から素振り100本。まずは筋力鍛えねば。...ってちょっと違う?