ふふふ花街でのお遊び

今日晴れだと思うと明日は雨のV市の空。これでは、折角の桜も次の雨で散ってしまうだろう。むむ。うむむ。仕事は待ってくれるが、花は待ってくれない。そして次にお目にかかれるのは一年後。いやまて。一年後、花はまだそこにあっても、私がそこに居るとは限らない。悲しいねえ。根無し草だよ人間は(演歌調)。というわけで、今日見む花は今日見るべし。春の優先順位の一位はやっぱり花でしょう。そうだそうだー。わいわいわい。なんて、捏ねなくてもいい理屈を捏ねながら、団子ならぬサンドイッチを持って秘密の花園へと向ったのであった。

さて、ここはV市の南部にあるヴァン・ドゥーセン・ボタニカル・ガーデン。クイーンエリザベス公園なんかと違ってこちらは私立の植物園。入口で入場料を払わないと入れてもらえないのがちょっと難であるが、ボタニカルガーデンと名乗っているだけあって、いろんな植物がやたらフレンドリーにお出迎えしてくれる。手入れも行き届いて、植物連も居心地が良さそう。ただし、有料の施設であるからして、ただそこにあるように見える植物も開園時間は結構気合いを入れて、勤労しておるのであって、クキっと刈られた芝生の端なんかがちょっとばかし窮屈そうでもある。そういえば、クリスマスの頃になると、ここでは樹木にぺかぺかライティングを施し、それを音楽に合わせて点滅させるなどという余興もやるんだけど、あれはちょっと木に申し訳ない感じがしたなあ。でもまあ、そんな加害者意識をついもってしまうのはこっちの方だけで、木の方は豪華衣装で山のような観客の視線が熱い毎年のクリスマスステージを一年の楽しみにしてるんだったりしてね。ともあれ、こちら野生の野山ではなく人工の自然。人間が作った大自然ならぬ小自然。だが、それはそれで面白い。

私はなぜかこれまでこの庭園には秋または冬の、樹々花々が息を顰め、仮死状態となり、再生を待っているような季節にしか来たことがなかった。一面に落ちた葉っぱの絨毯。その濡れた感触と一つのサイクルが終わろうとしている寂しい匂い。花の顔が消え、葉を落とした樹々の間を水の粒子を含んだ風が通り抜けるだけ。そんな庭の、禅僧のような顔も悪くなかった。

でも、今日のこれはなんだ! わあああああっと思わず叫びたくなる。そうか、さっき入場料で「夏料金です」と2ドル25セント余計に取られたのはこのことだったのか。何だ。このそこら中にわらわらと芽吹いているものは。どういうことなのだ。この胸を満たす甘い香りは。冬を越した樹々の芽という芽が、産毛の生えた堅い莟をそっと割って、幼い葉をちらりと覗かせている。なんなのだ、この溢れる生は! ぐわわわわ。これはどうやら、ライトアップなどという小賢しい演出をやっている演出家とは別の演出家の手によるものであるらしいぞよ。さすが自然。

あちこちに***である。*そしてまた*。カワイイ。鮮やかな色のダンス。***あっちもこっちも***。深呼吸。そして目眩。これは子供の頃からの癖で、どうしてだか判らないが、いつも最高の春日和に目眩が起こる。天気の良い***満開の春の日、地球の内側からわき出して来る生命力がこっちにまでどばどば入って来るからなのかしら、この目眩。リセット系の目眩であるらしい。そう言えば、花というのは端(ハナ)であって、世界のエネルギーが溢れ出た端っこってことだって、そんな文章が教科書かなんかに載っていたなあ、なんて。よたりながらもなんだかワクワクと小径をゆけば、モクレンの花盛り。地面に落ちた花びらの一つを手に取ると、あ、思い出した。これは指先で静かに花びらの表面を揉んで、中に息を吹き込むと、小さな風船になる、などと。沸き上がって来る記憶。その辺りから、いつの間にか私は5歳の少女となり、春の野に遊ぶうちに時空の隙間へと神隠しになりそうになった遠い春の日の時間と二重写しになりながら、ドッペルゲンガー化して歩いてゆく。あ、土筆。それにしても、デカいな、こっちの土筆。立派に書き初め用の太筆。お、これはひょっとしてワラビ。んー、ちょっと見た目が違うような。しかしこののの字系カール、いかにもアクの強そうな紫檀色。サンドイッチを食べる。地面に丈が7,8センチくらいの茎のか細い雑草が点々みたいな白い花をつけている。こいつはおままごとの常連だったな。インターナショナルな雑草め。好き。

子供の頃に遊んだ近くの土手は、春はふきのとう。母がそれを摘んでいたのを見よう見まねで、ある日一人でふきのとう摘みに出た。たぶん家から200メートルも離れてなかっただろう。でもそれは無限の距離でもあった。春の土手には溶けた雪の下から出て来た怪しげなエロ雑誌の切れ端、片っぽだけの靴、汚れた布切れといった、それだけでドキドキするようなブツが散乱しており、辺り一面、薄か茅の枯れ草で覆い尽くされていた。ヘビが出るかもよ。ふふふ。左手には川。農業用水か何かで、いつもその水は灰色に濁り、流れが速い、なんの風情もない町の端っこには相応しい何の風情もない川。その近くに食肉加工場。振返れば赤茶けた国鉄の線路。ボタニカルガーデンなんという洒落たもののない、発展からすっぽりと取り残されたような町。でも、傍目からは殺伐とした町外れのこの土手が、少女Aにとっては何か特別な場所だったのだ。ピンク色のズック。折り重なった茅の隙間から覗く花木の新芽。土筆。ふきのとう。電車の音。陽炎。

...おっと、また過去を歩いてた、はあ。

と、現実に戻ってみると、桜姫が目の前に立っておられた。
しだれがこの上なくセクシーで、しかもソメイヨシノよりも花が小振りで色が少し濃いピンク。口紅の周りをペンシルでなぞったようなくっきり美人。なんて言うんだろう。この色。韓紅とでも。いや、やはりそれよりも淡い、薄紅色。

名前の札を見ると「Weeping Higan Cherry」とある。weepingってのは泣いてるってわけだが、ようするにしだれてるってことである。higanってのは何かな。ヒガーン。彼岸? 彼岸桜、だね。へーっ。あなた薔薇科なんだ。知らなかった...。

なんて囁いてるところに、接写レンズ装備のカメラおじさん+その妻が登場。そっと聞き耳を立てると日本語で何やらボソボソと。このおじさん、エントランスの辺りから、花という花を接写しておられる。奥さんの方はやや手持ち無沙汰げに、でもつかず離れずおじさんの半径3メートルくらいのところをプラプラしておられる。おじさん、このガーデン広いでっせ。そのスピードで接写しつづけると、全部回るのに5時間くらいかかりまっせ。とおせっかいな心の声が漏れそうになったが、まいっか。エントランス付近の食虫植物の接写だけやたら細かいおじさんの写真帳もまたよし、である。

5歳の自分、桜姫、そして接写オタクのおじさん。春の幻想は時空を飛ぶ。そんな幻想を許してくれるエクストラ2ドル25セント。安い! っなんて、そんなケチな金勘定ばっかりやっていたわけではない。花が袖を引いたのである。またいらしてね。と。花街でつい見初めた花魁に拗ねられている若旦那のような気分である。うーん。来たい。来たい。また来たい。ああ、もうどうしても来ずにはいられない...。と、気づいたら年間会員券を購入してた。きゃいーーーーん(ここで顔文字を出したいくらいの嬉しさ)。コレでいつでも、気楽にこの秘密の花園に遊びに来れる。ああ、なんという幸せ。贅沢な春の午後。しかし、それにしてもここの植物ども、なかなかヤルなあ。ついつい財布のヒモが緩んだわい。