V図書館読み切り計画:008『だいにっほんおんたこめいわく史』

日本が無性に恋しくなることがある。でもさて、心の故郷・日本などという抽象的なものは、本当はそこにあるんだか、ないんだか。国の旗に赤い丸がついてるところと、赤い葉っぱがついてるところの間に挟まった、なんだかどうも窮屈なアングルから眺めると、恋しいよオと思う反面、おにぎりとサンドイッチの間に挟まってるせいかしら、それともやっぱり宇宙船から地球を見るくらいに遠いからかしら、ん? あれっ? ああーん? はぁー?? 意味不明理解不能、笑うに笑えないようなモンがたくさんありますねえ、日本。しかも、それに国際的な商品価値を見いだしたもんだから、今では国を挙げて奇態なものの輸出に励んでいる模様。

今ではなんとコスプレもV市に上陸。知り合いのパーティーに来ていた高校生くらいの女の子が、なんでもコスプレにはまっているという。中国系カナダ人。彼女は日本語も少し話すってんで、雑談したのだが、アニメキャラの衣装はお母さんの手作り。小学生くらいの妹と二人でそれを着て、コスプレ市に繰り出すのー、と嬉しそうにデジカメを持って来て、コスチューム姿の写真を見せてくれた。おおお。かなり本格的。しかも、ノリが立派にオタクである。さて、また別のゲーム狂の少年は「日本って、ぜんいんコスプレで道歩いてるんでしょう?」と真顔で聞いて来る。国民全員コスプレ国が、この少年の頭の中には完全に出来上がっちゃってる。すごいな日本。国民総コスプレだよ!! 近年のイメージ戦略大成功、文化の輸出も快調ですよ! なんて喜んでる場合ではない。ここに来て、そうか日本のイメージはフジヤマ・ゲイシャからコスプレ・ロリコンに推移しつつあるのだなあ、とようやく気づき、なんだかどうも落ち着かなくなってきたのだ。

へん?(心の叫び) ちょっとへん?(ヒソヒソ) もしかして変?(コソコソ)変だよね、変だよ。やっぱり変だーーーー(しーっっっ!)なーんて日本では口に出しても言えない。言ったら最後、そこら中から総攻撃の袋叩きに合いそうなので、変だなあと思っても誰もそれを口に出して言ったりしない。ネコ耳つけたメイドがバス待ってても、まあこんなこともあるよね、、、と見ない振りをして、いやあ本日も日本晴れ、平和な日本らっきぃ-----などと言って日を送っているのである。

でも、それもなんか変だなぁ、と心の底で鬱々としてたからなんであろうか、V図書館を彷徨う私の手は思わず知らず、この恐るべき、爆弾のような書物にタコのように吸い付けられていたのである!!!

だいにっほん、おんたこめいわく史

だいにっほん、おんたこめいわく史

(所蔵日:2007年6月)

小説としては、ものすごく派手に破綻している。でも、その破綻についても作者自身が文中で語っちゃってるという確信犯であり、そんな作者の謙遜? とは裏腹に実験小説として面白いところに行っているような瞬間もあり、この笙野頼子という人、一筋縄でも二筋縄でも三筋縄でも捉えられぬ怪物の予感あり。講談のような語り口がこちらの感情を揺らし突き上げ、でもねえ、などとへ理屈でも捏ねようと口を開けた瞬間にメタレベルに開き直った作者の拳が、んぐぐぐぐっと喉の奥に突っ込まれる。思考停止してる脳を活性化せよ、とその握り拳はこちらの胆まで踏んづかみ、いやはや読むのにも体力がいるが、こんなものを書くのにも体力がいることであっただろう。そう、自身の筋力体力知力経験力霊能力のあらゆるパワーを結集して、笙野頼子は文学を以て日本に恐るべき警告を突きつけているのである。

日本=ニッポンが、いつのまにか「にっほん」にすり替わっているなんて、この怒れる作家が命名するまで誰がそれを言い得たであろうか。って、まあこの小説は近未来のことであり、一種のSFなのであるが、にっほんがにっぽんの成れの果てであることは明らかであり、日本はいまや「おんたこ」という、タコでありおたくでありネオリベ(この言葉、初めて知った)でもあるロリオタ崇拝群及びそれを商品化し食い物にする者たちにより、完全に骨抜きにされ、ぐにゃぐにゃになり、国民総出でタコ踊りする「にっほん」という国へと変貌しているという、そのあたりのことが書いてある。らしい。そのどうやら実話らしい話を、全くの虚構として、一つの破綻した小説として、ある種の狂気として、この小説は目の前に突きつけ、まあいいじゃん、それでもいいじゃん、まあまあまあ、などと日和見的な態度を取っている読者の脳味噌を上から下から、中側からかき回し、またしても平手打ち、更には突き押しで文学の土俵際まで読者を追いつめ、そうか相撲だったのかと思って土俵を割ろうとした瞬間に、いいえこれはプロレスです、いや空手、いや忍術、いや降霊術と七変化。その変幻自在な策略により、にっほんという国のとらえどころのなさ、とらえどころのない危うさをほのめかすことにかろうじて成功している、という今時珍しい奇書なのである。

こういう気概のある威勢のいい文人がまだ日本(にっほん?)にいるということが、嬉しくもあり、折角相対化された「にっほん」を、まな板の上にしばらく乗せておきたいような気持ちにもなり、ああ本日もにっぽんばれ、オッケーオッケーなどと目をつぶってばかりもいられぬなあと、横っ面をひっぱたかれ、冷水を掛けられた思いで読了。日本を想う度になんだかモヤモヤしていたものが何だったのか、ようやく見えて来たような。もっと覚醒せねば。目が覚めます、この本。