復活の食卓

明日はイースター。昨日は「グッド・フライデー」という、キリスト教ではイエスの死を記念する日。朝から道行く車がやたら少ないなあと思っていたら、グッド・フライデーはこちらでは国民の祝日だってことが判明。キリスト教徒はこの日には肉を食べないのが習わしだそうで、強いて言えば禅宗神道に帰依すると思われる私も、ここは一つ敬意を表して...と、Fish & Chips など食してみた。キリスト教徒の多い街では「金曜日はフィッシュフライ!」ってのは割と定番なんだそうだが、V市では金曜日はフィッシュフライの宣伝文句で客を集める店は見当たらず。いや、でも、実は密かにこの日、マクドナルドのフィレ-オ-フィッシュの売り上げが倍増しているのかもしれない。

この時期になると、毎年思い出すことがある。もう随分と昔のことになるが、フランダースの犬の街でなんとなく腐っていた春に、プラハに住むチェコ人の親友O女が、遊びに来いと誘ってくれたのだ。なんの心の準備もなくふらふらと出掛けて行った私を待っていたのは、濃厚なキリスト教徒の家族による想像を絶するイースターのもてなしであった。

まずO女の彼氏に紹介された私は、彼らと共にプラハからバスに揺られ数時間。ボヘミアってこの辺なのかなっていうあたりの小さな村に辿りつき、そこで紹介されたのはO女の彼氏の家族。友人の家族ならともあれ、その彼氏の家族となると、かなり縁遠い。いいのかな、よそ者が家族のイベントに入り込んじゃって...などと戸惑う私をよそに、O女は別にまあいいからいいから、とアバウトである。彼女の口癖は「フフフ。あんたは今、ワイルド・イーストにいるのよ」。西欧からやって来たひ弱な私に東欧のワイルドさを見せてあげるわよってわけだ。さて、ご家族。あごひげを生やし背が低く哲学者詩人もしくは神話世界の住人の如き父とニコニコと堅実で働き者そうな母。お父さんは英語を少し話すが、お母さんの方はフランス語を少しだけ。なんとなーく通じるような通じなーいような感じで、でもしかし、この家族に緩やかな歓待を受けていることだけは確かであった。彼らも普段はプラハに住んでいて、ここは休暇のための田舎の家ということらしかった。教会の真ん前にある、小さな古い家。土間があり、天井が低くて、かつての職人仕事の名残と思われる太い梁と塗り壁で囲まれた空間は、それ自体が飴色の骨董品のようだった。古い家の、記憶の、遠い日の匂いがして、柱時計がギュルギュルと唸ってからディオーンディオーンと時を告げた。

さて、お父さんはさっきから卵を何十個も割っている。そして何やら骨董市場から集めたような古道具を使って黙々と作業をしておられる。何でも、お父さんの実家はお菓子屋さんだったそうで、家に伝わる菓子作りの器具を納屋から引っ張り出して、イースター用のケーキとパンを焼くことにしたのだという。お父さんが大量の卵と大量の砂糖と格闘している間、私とO女は庭に出て、形のよい葉っぱやら花やらを籠に摘み取り、それを卵に糸でくくりつけては染め色に浸し、花や葉の形がそっと浮き出す七色のイースターエッグを作った。後は何にもすることがない。ビニールのクロスのかかったテーブルで、お茶を啜りながらO女と私は本棚から写真集を取り出してながめたり、たわいもない話をして笑った。

やがてパンが焼き上がった。私たちはその不思議に甘いパンの一片を口に入れた。遠慮がちに。というのは、宗派や国によっても違うのであろうが、その地方ではイースターの日(それともあれは前日だったのかな、記憶不詳)は夕食になるまでは基本的に断食、食べるとしてもほんのちょっとだけ、という習わしがあるらしく。O女はそれほど真面目にそういう習わしに従うタイプでもないんだけど、将来の義理のお父さんお母さんの前ではしおらしく、できるだけ風習に従おうと努力している姿が健気。そこで禅宗神道の徒である私もまた、彼女に敬意を払い、共に半日の断食を試みたのである。

半日食べないくらいなんでもないと思うのだが、ははは、食べられないと思うと、やたら食べたくなっちゃう。そのうち、なんだかそれが可笑しくなってきて、私たちは食べちゃいけない自分たちをいじくり始めた。棚に並んだ料理本の美麗料理写真を開き、「うーん、美味しい」なんて空想の食事をして、肉のページが出ると「あ、肉はやっぱりヤバい...う...やめて...」なんて言いながら目を反らしたり。お父さんはその間も黙々とケーキを焼き続けており、お母さんも夕食の準備などされており、ボーイフレンドは友達とどこかに消え、そのうち弟、弟のバンド仲間の青年などが続々と家にやって来て、ホビットの家のような古民家は人影で一杯になったのだが、それでも父母はまったく動じず、特に身構える様子もなく、ああいらっしゃい、泊まって行く? ああ、まあ適当に。なんて非常に緩やかな歓迎モード。来るものは拒まず、去る者は追わずで、家族や友達、知り合いそしてわけのわかんない日本人の娘などまで適当にそこに居させてくれるという伸縮自在さが、この家族にはどうやらあるらしかった。

教会の鐘が鳴る。何しろ目の前が教会だから、鐘は家全体を揺らす。朝から父母は何度か既に教会に礼拝に行っているようだった。そこには何か言葉にはできないような真面目さがあった。

家の中はどんどん暗くなった。小さな灯りが一つ。それがいとおしく、なぜかしらぽっと暖かく感じられるようになった頃、待っていた夕食が始まった。香りの強い春の野草がたくさん入った、重厚な肉のパテ。春を食べる、ってこういうことなのだな、という味がした。獣の油が、大地の記憶とともに胃袋を目覚めさせる。断食した体にそれは一つの衝撃として刻み込まれた。静かな食卓。肉。ポテト。肉。ポテト。いや、もうお腹一杯です。食べられません。お父さんが家に代々伝わる古いケーキ型を使って焼いた、ほぼ等身大の子羊のケーキが、首に赤いリボンを巻いてこっちを見ていた。

と、これでイースターとやらの祝い膳は終わりかなと思っていたら、なんと次の朝。
それは朝食であったのか昼食であったのか定かではないのだが、私たちは草花の咲き乱れる中庭にテーブルと椅子を並べ、長い長い食事をした。一体何を食べていたのかよく覚えていないのだが、食べるということが何か神聖な域に達しているような透明で喜びに満ちた食の時間であった。といって、何か堅苦しい儀式があったわけでもない。シンプルで、素朴で、素直。とにかくまあ食べるのだ。お腹いっぱい、あらゆるものに感謝しながら、食べる喜びを分かち合いながら、食べる。食べる! 食べる!! 春風が頬張る頬を撫で、ミツバチが飛び、花が揺れる。体の中に、春のエネルギーが、新しいサイクルが取り込まれて行くような純粋な食であった。復活祭。そうか、こうやって人は再び復活するのであったか。などと。考えながらもモグモグ、モグ。もう食べられませーん。というところで更にお父さん特製ケーキ2種が登場。しかもバニラアイスクリーム山盛り添えである。おーーーん。あまり急激に血糖値が上がったせいであろうか、それともあまりに幸せなせいであろうか、涙が出そうである。食べながら恍惚としてくる。O女の眼も、みんなの眼もうっとりしている。と、そこに宇宙から降り注ぐような教会の鐘の音。それは宗教も人種も超えて、どこまでも幸福な、永遠の春の中にある食卓を包み込み、いつまでもいつまでも鳴り続けた。

ちなみに、子羊のケーキはイースターが終わるまでは食べちゃ駄目とかいう決まりがあるらしく、見るだけででした。いや、どっちにせよ、もうお腹に何の隙間もありませんでしたけど。