迷いの方程式:方向感覚×速度

1. 方向感覚が全くない
2. 足がものすごく速い

この二つの要因により、よく道に迷い、一度迷い始めるとかなりの長時間迷う。1.に深刻に気づいたのはフランダースの犬の街近くで、小型飛行機に乗せてもらった時。その頃私は劇団で使いっ走り兼女優のようなことをしており、まあそれは女優というよりパッフォーマァーとか呼んだ方が良さそうな、怪しい前衛芝居アート系。時に人間彫刻のように突っ立ち、時に滅茶苦茶踊りで狂喜乱舞し、また時には皆で怒声罵声をあげ、まあ言ってみれば演劇を極限まで張り手突き押しで攻めて行って、ついに土俵を割る...っと思ったらそこはなんと現代アートの土俵際でもあった、というメビウスの輪のような世界。あらゆるもののギリギリのあたりにある、力といえば力、美と言えば美、狂気と言えば狂気、ゴミ屑と言えばゴミ屑のような、それを寄せ集めて煮込んだような強烈なものでありました。評論家の先生はこれこそアートの臨界点、美の極地などと難しい賛辞を連ねたて、観客の1/4くらいは舞台にトマトを投げつけたい気持ちに悩み、残りの1/4くらいは途中で家に帰り、次の1/4くらいは自分の中のトラウマに直面しているようだと興奮し、ともあれ最後まで辿り着いた人々は「いや、さすが。アートだね、すごい」などと口々に言いながら、今さっき見た狂気沙汰にともあれアートという名札をつけて、なんとか心を落ち着けさせて帰宅、その後悪夢にうなされる、といった、そんな現代演劇の場で、私はアート修行していたのである。

と、話がそれましたが、問題の方向感覚。その劇団の公演最終日が私の誕生日と重なると知ったマネージャーが、皆にカンパをつのり、誕生日プレゼントをくれるというのである。何が欲しい? 何でもリクエストしてね、と言われて、嬉しさ恥ずかしさの高みで、それでもなお日本から来た宇宙人であった私は一言「フリーヒターヒ...」と言ったのである。え、ヒコウキ、飛行機? あ、模型? ああああ。飛行機の模型が欲しいのね、あ、そーですか。飛行機。んー。どこで買えるかな、オッケー。うんうん。などと言っているうちに、その辺にいたテクニシャン(劇場の裏方さん)のおじさんが「模型なんてショボいこと言ってないで、本物に乗せてやるぜよ!」と言い出した。マジ? マジ? マジ? わーい! わああああああい。その時くらい、わけのわからんアートを辞めずにやってきてよかったと思ったことはない。

それから数日。
フランダースの犬の街から車で数時間。小さな飛行場に到着。現われたパイロット氏は私の「パイロット」のイメージとは違い、普通のポロシャツにジーンズ姿。しかもポロシャツの胸にはタンタンのイラスト刺繍までついている。あーん! ちがーう! と叫びたかったが、でもまあ、この人が私の夢を叶えてくれるんだもの、と落ち着いてもう一度見ると、なかなかカワイイ顔したお兄さんである。要するにこの人は趣味の日曜パイロットで、本業は銀行員。ライセンス保持のために毎年規定の時間を飛行しなければならず、しかも既に友人等を同乗できるグレードのライセンスを持っているため、誕生日娘の私が彼のフライト代(飛行機は一回飛ぶだけでもものすごく高いのだ)の半分くらいをプレゼントカンパで払い、みんな笑顔の一石二鳥、ということだったらしい。

飛行機って、まるで自転車みたいなんだ。びっくりした。離陸の時に、漕ぐの。何かペタルみたなものを足で。お兄さんはヘッドフォンを耳につけ(ようやくパイロット風)計器をチェック。何やら交信しつつ、微笑みながら、漕ぐ、漕ぐ! するとものすごい振動の中、銀色の機体は徒競走のように草原の中をがむしゃらに走り、このまま止まって終わりじゃないかと思うどん詰まり辺りで。あ、浮いた! 小型飛行機は旅客機とは違って、かなり低い所を飛ぶので、地面がよく見える。あ、わ、わ。体験したことのないこの俯瞰図。鳥の目の高さ? そして、暑いの、なぜか。カプセル状になっている透明のコックピットの蓋を通して、日射しがやたら強いのです。ああ、地上にいる時よりもお日様に近いから、それで暑いんだな...。などと、イカロスが飛びながら考えたような詩的なことを考えながら、それはそれは夢のような、怖さと嬉しさとトイレに行きたさと、不安と期待と、永遠とが混じったような、飛行。そうか、飛行機っていうのは離陸したら着陸するまで止まれない乗り物なんだよな、という当たり前のことを今更発見して、やたらに感動した。途中下車できないの。いちぬけたぁ、はできないの。乗ったら最後。行く所まで行くだけ。冒険でしょ。ロマン、でしょ。

さて、私たちの飛行プランは、北フランスの小さな飛行場まで行って、そこで一度着陸、また引き返すというものだった。数時間(長い!)の飛行の後、遂に飛行場に到着。ここがフランスだな。感慨。でも一体私たちはフランスのどこの、どのへんにいるんだろう? 「私たち、どこにいるの?」と聞くと、「離陸した飛行場だよ」。ぽかーーーーん。ぽかーーーーーーん。ぽ、か、え? ん? どうして? 時空が歪んじゃったの? クラクラクラ。結局、余計にちょっと飛び過ぎて時間がなくなったので、出発した飛行場にそのまま旋回して戻って来たのであった。ぜんぜん気づかなかった。でもまあ、どちらにせよ、それは私にとっては同じであって同じでない飛行場だったんだけどね。何かちょっと変わってた。飛行の前と後で。

んー、また話がそれてしまった。方向感覚がないという話でした。さて。
空中で迷子になるのはまあ誰にでもありそうなことだが、地上でも同じことがよく起こるのです。長時間歩いた後で、おお素晴らしい新しい場所に辿り着いたぞと思ってよくよく落ち着いて見ると、出発したまさにその場所だったなんてことがよくある。そのうえ2.足がものすごく速いので、迷い始めると止めどなく遠くまですぐに行ってしまう。(が、とんでもない速さでまた戻っても来れる)この1と2という二つの資質により、これまでどれだけ道に迷い、またどれだけ無駄足を踏んだことか。人生もしかり。まさにこの1.2.の資質が私の人生の混迷を生み出しているのであり、迷う事多し、日暮れて道遠し。しかもとんでもないところまで行って迷う。なんでV市に来ることになったんですか? という質問の答えも自ずと明らかであろう。嘆息。しかしでもなあ。あの空中飛行と同様、迷いの時間の後に何度も立ち戻った振り出しの風景は全く新しい風景のように眩しく、発見に満ちてもいるのだし。迷いなしには、この発見もまた、どうやらないらしいので。ぐるぐると同じところを迷う無為の時間のようであっても、離陸したさっきの飛行場に立ち戻る度に、その草一本一本の、花一輪一輪の、風の、コーヒーをすする人の、地面の、笑い声の、新鮮な驚きに出会うのだから、迷いの時間は私をやはり少しずつ変えているのであって、それはそれでたぶん構わないのだ。

散歩に出る。今日はどこで迷うやら。迷うのも繰り返しているうちに、だんだん上手くなって来るしなあ。と思ったけれど、どうやらこの文章もまた十分に迷っているのだなあ。少し速度を落としてみるか。地図でも眺めてみようかな。