猫系、ではなく蹄系

タップダンスの先生は、フィラデルフィア出身の黒人男性。笑うと頬骨のすぐ下までU字型の口になる。いつも、既に10年くらいは着古していそうなドラゴンボールのTシャツなんかに裾をまくったジーンズ姿。この裾をまくってるのは、ファッションというよりも、お手本のステップがよく見えるようにという配慮らしい。

隣のスタジオでは、Pussy Cat dolls style Hip Hopとやら、本家本元のプッシーキャットドールズ顔負けのセクシータンクトップに長い髪を垂らし、スウェットパンツを腰骨の下まで下げて腰をくねらせている猫系ティーンがビートに乗って何やらどこかで見たことのあるような振りをキメては、鏡に映る猫の全身をくまなくチェックしつつ髪を掻きあげ、挑発的な目線と半開きの口を練習している。と、更に奥のスタジオではクラシックバレエの乙女たちがつま先を伸ばしておられる。あの首の角度はいつ見ても鳥系だなあ、などと失礼なことを考えつつ、あの薔薇の花びらが四方八方に飛んでいるような空間は、たった扉一枚の隔てであるというのに、百万光年の彼方のように遠く思われ、また何がしかエイリアン的なものを感じるのだなあ...。なんて感傷に浸っている暇はない。始まるよ、こっちの一番小さいスタジオで。隣の猫系ビートがガンガン聞こえて来る、なんとなくオマケって感じのこのスタジオ。床は一万匹のプッシーキャットが爪を立てて踊り狂った後のようにズタズタになっちゃってるけど、実はこの神聖なるオマケ空間は、お隣の猫女たちにとって百万光年の彼方のように遠い場所、というか、こんな古臭い匂いのするところクンクンクンいやだわ私こんなのイヤ、と彼女たちがプイと避けて通る場所なので、床の傷が猫女の仕業でないことは明らかである。

そう、こちらタップスタジオ。床の傷はワタクシたち誇り高きタッパーのシューズ跡なのであり、階下の人は一体どういう精神構造を持ってして、この足を踏み鳴らす野獣群の蹄によって日々薄くなってゆく天井の下で生活していけるのだろうか、などとこちらが心配になるほど、ワタクシたちは容赦なく踏みならす。しかも金属付きですよ、靴。コレで蹴りを入れたらキャットウーマンもきゃっと叫んで逃げる(ジョークじゃないよ)くらいの破壊力はあると思われる。

しかし、なんというか、タップ教室に来る面々というのは、自分で言うのもなんであるし、またクラスの仲間にも申し訳ないのではあるが、お隣の猫女連、向いの薔薇女連に比して、なんとなくパっとしない。年齢層も割と高く、体系もバラバラ。クラスがはじまるまで、隅っこでじっと本を読んでいるような暗めの女が中心である。タンクトップの臍出しなども、腰をくねらせて...などという振り付けがほとんどないので、やってみてもあまり見せ場がない。服装はジーンズ、頑張ってスカートの裾から黒タイツ。地味です。やけに緊張した真面目な顔で、必死にステップを踏みつづける。職人系ですね、ちょっと。

なりは地味でも心に花。やっぱりタップはショービズのロマン。音楽に合わせてステップを踏めば、まあるく当たったスポットライトの光の微粒子が斜め四十五度に差し込む様が見えるが如くなんだか心が眩しく、まあそんなことはともあれ、この音が好き。地面をトントン、カツカツ、タタタタ、ダダダダ、ティタタティタタ、ツッツッ、タントタント。踏むという作用の度に、世界が足の裏を反作用で押し返し、その躍動が膝に、腰に、肩こりに、耳に、ゴミ箱みたいな脳に波及し、ああ、ああ、ああ、なんてその原初的快感に浸っていると次のステップを間違ってアレレ。その繰り返し。そのうち、コントロールしているという意識が消え、ただただ音楽とリズムと地面と私。なんにも考えない。ただ音に、世界に抱かれて...なんていう境地はまだまだ先らしく、頭で考えると必ず間違えちゃうステップで足がこんがらがりコケそうになりながら、それでも足はまだ豪快に床を傷つけて、動く動く。汗。駆け下りる階段。外の世界。深呼吸の夕暮れ。