V図書館読み切り計画:005『きれぎれ』

モールってのがこっちにはたくさんある。要するにドでかいショッピングセンター複合施設で、洋服屋やら靴屋やら、コスメ屋やらキッチン用具屋やらが一つ屋根の下に一緒になって小さな街のようになったやつであり、人がそこでお金を使うようにデザインされた人工的な散歩道のようなものである。週末になると、ちっちゃなお下げ髪を連れた家族や、お下げ髪×2+恐竜抱えた破壊的坊や連れ、デートですとはっきり顔に書いてあるような初々しい男女などなどがこの街に溢れる。モールというと明るく楽しいイメージがあるだろうが、実際にはしかし、壁が天井と床と交わる隅という隅に埃と黴が溜まり、誰が買うんだろうと思うようなチープでユースレスなガラクタを売る店が並び、ガランと人気のない通路の真ん中のベンチで行き場のない老人が俯いて震えているようなモールも結構あり、V市には、そこに行くと必ずうらぶれた悲しい気持ちに沈み、精神および存在の危機すら感じるバッド・モール、サッド・モール(勝手に命名)も散在するので要注意なのですが、その中でも気鬱症になる可能性の低い、お洒落で明るいブランドショップの並ぶオークリッジ・モールなるモールのフードコートで、なぜか私はこの本を読んでいた。

目の前に映るのは左から紫のロゴが目に沁みるタコス屋、その隣にチャーハンの写真やら肉の写真やらのファーストフード中華屋、その右にハンバーガー、そのまた右にインド料理テイクアウト、その隣には...。寿司屋もきっとあるだろうなと思いつつ、ずずっと見渡すとアジア80%の白人20%。中国系ご家族が目立ちます、晴天の日曜日。私はオレンジの匂いのするお茶を啜る。ページをめくる。お隣のテーブルには中国系のおじさん2人と黒髪の女性。そのおじさんの一人がなんとなく私の本の方に目を泳がせたんじゃないか、日本語だってばれてるかしら、漢字んとこは読めちゃうかなおじさんにも。まずいよな、読まれたら。ヤバい本読んでるって思うかしら。思うよね。私だってなんかそう思ってるもの。日曜日の、平和な、とても平和なモールで、こんな「テロル」だのなんだの、世界中の脳味噌が砕け散り、インドカレーの鍋の底を通過した後で、寿司屋のお味噌汁の中に着地して、そんなこととは知らぬ休日のお下げ髪が、今啜っているそのプラスチックカップの中に、微粒子として入り込んでるなんて、そんなことが書いてあるような本を読んでていいんですかって。人間存在の恐怖を描いた狂気の曼荼羅のようなこんな文章を、公共の場で読んでいるのはなんだかいけないような気がして、ドキドキしてるのだもの、さっきから。これもテロルなのだろうか、なんて。ってのはちょっと大袈裟か。

きれぎれ (文春文庫)

きれぎれ (文春文庫)

(所蔵日:2001年8月17日)

町田康がコレで芥川賞を取ったというこの小説、かなり破綻している。文章は途切れ、歪み、綻び、一見滅茶苦茶で酔っぱらいの戯言のようにも見えるのだが、どうしてなかなか読み通してみるとこれは立派な「小説」なのであり、こうやって綻び、ずたずたになり、転んだり滑ったりする言葉でなければ描けないことが描いてあるというだけのことなのだ。文章のテニヲハや形式だけはきちんと小説らしい顔をしていながらその実ぜんぜん小説でないという文章が世の中に溢れている中で、ここまで壊しながらも小説であり続ける力ってのはやっぱり芥川賞に値するのでしょう。脱帽。

脳細胞の一つが反逆して書いちゃったような文章で、シュールな妄想が肥大してフツーの写実的世界とはどんどんかけ離れていくのだが、脳細胞の想像力、シナプスの呟き、伝達物質の化学反応というものを丁寧に叙述していくと割とこんな風になるのかもしれず、誰の脳もこのくらいの妄想は日常茶飯事、ただそれを言葉にできない(しない)でいるだけかもしれず、そう考えると、この本は脳細胞のレアリズムとでも呼べそうなところに到達している、のかも。

いつもの如く、負け犬で最低で行き場のない人ばっかりが出て来て、その脳味噌や精神肉体が完全に破壊され、これでもかこれでもかと堕ち堕ちていくのだけれど、なぜか町田康の小説は読んだ後で気鬱にならない。むしろ一種の浄化、透明さ、堕ちるところまで堕ちてもうダメで〜すという自分をまだちょっと距離を置いてへへっと眺めているような達観があって、嫌らしくならないのがよい。決してそんなことは書かれていないんだけど、裏の裏側ではこれはたぶん人間肯定の小説なのだ。闇ではなくて光のカテゴリーに属しているのだよ、たぶん。これは才能。人の持っているの色のようなもの。堕ちて堕ちて、沈んで沈んで、自分が裂きイカみたいに引き裂かれ踏んづけられたどろどろの嘔吐の中からでもまだ透明なものの欠片が見えるということが、この作家のギフト、だなあ。なんて国際色満点のフードコートを、まだ人間の形にはまっていない柔らかなピンク色の子供がスキップして通過するのを横目で見つつ、読了。