浮遊する寿司

2010年冬季オリンピック日本代表選手に朗報。たぶん金メダルの嵐となるでしょう。なぜかって? よくあるでしょう、日本でのトレーニングでは調子最高だったのに、現地の食べ物が合わなくて腹痛起こしてダウンとか。その心配のないバンクーバー。なぜかって? 寿司や(ジャパレス)の数が3〜4百軒。どうだ。函館だって、新潟だって、ひょっとしたら築地市場だってかなわないほどの寿司過密地帯。ほんと、こんなに寿司やの多い街は初めてです。

近所に「ラスプーチン」というロシア料理店があったのだが(そもそもロシア料理店でラスプーチンっていうネーミングってどうかなあ)、それが突然閉店し、ジャパレスに変貌するらしい。一度行ってみようかなと思っていたような、ちょっと変わったエスニック系のレストランなんかが突然閉まると、必ず次に入るのが寿司や。どーいうことなんだろう。この激しい競争の中で、まだそれでも寿司の需要があるってーの? 寿司といえば日本の国技なので、寿司やが海外でこんなにアグレッシブに繁殖していく様を目の前に、なんだかどうもちょっと落ち着かないのである。

まあこの町、北米でも一番寿司密度の高いとこだろう。ってことは、日本を除いては、世界でたぶん一番寿司密度が高い。いや、日本でもここまで寿司密度の高い地域にお目にかかったことがない。ということは、私は今宇宙で最も寿司密度の高い風景の前に立ち尽くしているということになるのか...。

これだけ寿司やが多いと、名前にもいろんなのが出て来る。最近そのへんで見かけて、あんまり食欲が沸かなかったのが「Blowfish Sushi」=フグ寿司。ま、高級感があるという見方もあるか。ほんとに食べさせてくれるのかしら、フグの握りとか。あるかな〜、と検索してみたらやっぱりあったのが「Samurai Sushi」コレ今旬ですね、サムライニッポン。あと「Oishii Sushi」なんてのもある。不味かったら責任は取ってくれるんだろうか、それとも本当においしい寿司なのか、まだ身をもって試してはいませぬ。更に知人からの情報で知ったのが「Opera Sushi」。これはかなり興味ある。どうやらオペラ好きのオーナーがやっているらしい。美輪明宏みたいな世界だったらどうしよう。アリアを聞きながら優雅につまむ握り...かなり怪しいが、好奇心をそそられる。

こちらの寿司やは日本の寿司やに比べて、巻きの比重が高い。握りよりも巻きの方が人気がある。アボガド+カニというカリフォルニアロールは今や国際的に有名だけど、その他にもクリームチーズが入ったフィラデルフィア巻き、焼いたサーモンの皮の入ったBCロール、海老の天ぷらを巻いたダイナマイトロール、その他にも店ごとにオリジナルの巻きを出してるところが多い。(これからの日本の寿司産業、「巻き」にビジネスチャンスあり! ですぞ)

なーんていうと、日本の寿司やよりこっちの寿司やは進化してるように聞こえるが、やっぱりどうして、そうでもない。80%くらいの寿司やは中国系もしくは韓国系がオーナーで、差別をするわけではないけれど、やっぱりそういうお店の寿司は、ちょっと寿司のコンセプトから外れていたりもする。ネタがやたら厚く切ってあったり。シャリがでかかったり。あら豪快でいいじゃない。んー、それが、やっぱりなんか違うんだなあ。ネタの厚さ、シャリの分量が味と関係あるなんて、ここに来るまであんまり考えても見なかったけど、やっぱりねえ。しかし、今やモンゴル人が両横綱を張るご時世、寿司も国技だから日本人の専売特許だなどといつまでも言っておられず、こうした国際寿司に出会う機会が、これからどんどん増えて来るだろう。そんな時、本家本元のわたくし日本人はどーしたらいいのか、厳しい国技寿司の基準から外れているものはアウトと判定し、立ち去るべきなのか、それとも、まあこういうのもアリ、安いしまあまあ食べられるからヨシ!と優しくなるべきなのか、でもやっぱりこんなの寿司と呼んじゃいかん! と飯台ひっくり返し、日本人の心の伝導師として嵐の中を一人ゆくのか。でもまあね、日本のイタめしやに来たイタリア人だって飯台ひっくり返したくなってるかもしれないしね。ここは大人になって、国際寿司を楽しみましょうね。

などと言いつつ、舌だけを頼りにセレクトしたお店にリピートするのだが、結果としては日本人のオーナーのお店のご贔屓さんになっている場合が多い。もちろん、日本人オーナーのお店でも、飯台ひっくりかえしたいようなところもあったし、コックさんの帽子をかぶった韓国人の職人さんがニコニコしながら握ってくれるなかなか感じのいいお店もある。一つだけ、声を大にして言いたいのは、お願いです、お醤油を入れるお皿、そして取り皿、更には湯のみ、この三種の神器だけは瀬戸物を使っていただきたい。ここでプラ皿、プラ湯のみが出ちゃうと、私の中の日本人がしゅん、と肩を落とすのです。どんなに美味しくてもだよ。あと、お茶にチャージしないように。これも心がしゅるるるっと縮みます。どんなに相撲が進化しても、大銀杏に回しという形だけはどうしても譲れないように、ここんとこは譲れない。プラで行くということはそこで既に回転寿しレベルに自ら身を貶めているわけで、曲がりなりにも寿司やの看板を出しているのならば、ね、お願いします。瀬戸物で。

プラ皿、プラ湯のみで寿司を食べると、お寿司が着地してないような、そういう不安定感があるんだよな。寿司の宇宙遊泳。しっかり地に足のついたお寿司が食べたいの〜、なんて外国にいて贅沢な注文で失礼。