小さいもの礼賛 III

購買意欲っていうか物欲っていうか、そういうものがどんどんなくなっている。年のせいじゃ? と君は言うだろうが、それだと日本に帰ると矢鱈目鱈にモノを買い漁る理屈がつかぬ。ホームシックなんじゃないの? と君は言い、あんたは実はバリバリの愛国主義者でメイド・イン・ジャパンじゃなきゃイヤイヤイヤと身悶えてんじゃないの? と君は言う。まあそういうとこもちょっとはあるだろう。でもね、なんだか、魅力がないの、こっちのモノに。っていうか、モノの在り方に。サイズに。食欲をそそらないデカさってあるよ。どでかーん、と。質は悪くないんだろうが、巨大な塊でドサっとくると、ないんです私の中にはその置き場所が。日本人の弁当箱的、箱庭的、盆栽的脳細胞にはトイレットペーパー72ロールパックや黒ボールペンばっかり24本セット、盥くらいの大きさのマーガリン、棚に縦にしても横にしても収まらない巨大徳用チップス黒胡椒味、などなど、なんでもかんでもデカすぎて、収めようがないのです、はあ。

この大特大メガギガ文明においては、恐ろしい価値の反転も起こる。小さなサイズの同じ商品が大きなサイズのものよりも高い?! という事件が日常的に勃発してるのだ。100gのポテトチップスが 250gの同じのよりも高かったら、誰が100gの方を買うっていうんだ? そうやって消費者は「大きい事はいいことだ。だってこっちの方がお得なんだも〜ん」という価値観を刷り込まれ、ついつい次回もまた巨大お徳用袋を買い物カゴに入れてしまうのだ。Buy One Get Oneってのもある。一個買うと二個目はタダってこと。いかにモノに実際の価値がないかってことが分かる。大量生産&大量消費。デカくしてたくさん買わせるという戦略がこちらでの消費経済活動の基本にある。日本だと、「えー、これバッグに入らないし〜、戸棚に入らないし〜、そんなにチップスばっかり要らないし〜、ちょっと高いけどこのミニパックの方にしちゃおっと」という風に「量と値段」というファクターとは別の、便利だから、お洒落だから、太っちゃうから、ダサイから、カワイイから、トレンドだから、などという様々な心理的な項目が消費活動を左右することになるのだが、こちらではもちろん品質というファクターは購買に影響を与えるとはいえ、そこだけある程度クリアできれば「量と値段」の法則を破ろうとする人はあまりいない。それで、小振りのジップロックから自分で小分けにしたチップスを引っ張り出して食べている女性などが街角に出没したり(これは東京でもやってみたいな、ちょいエコ系)、たくさんあるのでたくさん食べちゃいましたということでどんどん太っていく人が出現したりするのである。

日本にも最近上陸したというCostcoなどをはじめ、北米のチェーン店はHome Depot、Office Depotなど倉庫がそのまま店舗という形式のものが多くて、家電店もこの形式のものがほとんど。店舗はやたら広いのだが、その割に品揃えは少ない。狭い店舗にディスプレー用の商品を所狭しを並べ、実際の品物は後で別の倉庫から持って来るという方式のヨドバシなんかとは真逆を行く。巨大ハンバーガーとかステーキなんかがどかっとてんこもりになりがちな北米料理は大味だ...とよく言うけど、「おおあじ」なのは料理だけではなく、家電店も、ホームセンターも、ブティックも、総じておおあじ、でかいものがバンバンバンっとあって、だだッ広く、バラエティーは乏しく、スカスカしている。百貨店と言われる所に行ってもこれは同じ。広さが、大味な荒っぽさが、どうしてもある種のうらぶれた情感を醸し出してしまっている。日本の地方都市の駅裏の、閉店セール寸前のダイエーのスカスカ感を連想する。こちらではそれが普通らしいのだが、私はそんな辛気臭いところで、お金を一銭も使いたくないと直感的に思ってしまうのだから仕方がない。モールと呼ばれるところに入っている百貨店はまず必ずと言ってこのスカスカ感、辛気臭さを湛えている。

なんなのかな、あれ。モノというものは正当に作られ、正当な規模で、正当に扱われないと反逆するんだろうか。適当に作られちゃいました、適当に売られちゃいますので、適当に買って、適当に使って、まあ適当に捨てて下さい、というモノの恨みのオーラがデカい店の中のデカいパッケージのモノたちからむんむん出ているのだ。ぶるる、ああ怖い。

というわけで、量産し、増量し、クオリティーは下げ、値段も下げてバンバンバン!!! と売る量販店によって購買欲は落ち込み、これでもかとげんなりさせられた私は、そんなお店たちをちょっと目の敵にもしているのだが、時々敵陣偵察、巨大倉庫店にスニーカーで(何しろ広い)入り込み、いや、でかいなあ。どかんどかん。こんなに消費してどうすんだろ。これで逆に消費欲をそそられる人もいるんだろうなあ...などと考えながら散歩する。そして、ミイラ取りがミイラで迂闊にも「あ、これ安い。グラム当たりにすると...お、小売店よりぜんぜんお得!」なんて計算しはじめ、でかい荷物を背負って帰ることになったりする。

Costcoなどの巨大卸売り店は、実は私のインスピレーションの源でもある。スカスカの寒さ、モノの逆襲、大量消費社会の縮図。私が嗜好する小さい世界と対極にある、巨人の世界。ああ、この感じ。これに耐えられないから、この大の意味するところのつまんなさに欠伸が出ちゃうから、もいちど小さいものLOVEなんだよな。キュっと濃い所を見せてやるわよ。なんて、がぜんやる気が出て来るのである。