永遠の駄洒落

長年お世話になり、私にとってmentorでもあった人の訃報が届いた。
素晴しい仕事をし、その合間にクスっと笑える駄洒落を挟み込む、味わい深い人だった。

今朝、スタジオで独りリハーサルしながら、
心はずっと、今はこの世からいなくなってしまった、その人のことを想っていたようだ。

朝のスタジオは、とても静かで、公演に備えて既に暗幕が張られ、照明は天井のいくつかのスポットライトだけだから、昼なのか夜なのかよく分からない。こぢんまりしたスペースだけれど、暗くて私以外誰もいないせいか、宇宙の広さがあるような気になったりもする。

いや、これは暗いせいでも、私だけしかいないせいでもなくて、
アートの時間を呼び寄せれば、空間は自在に大きさを変える。
彼もまた、そのことを知っている人であった。

あまりに静かなので、とてもとても低くグールドのゴールドベルグをかけて、小道具などをちこちこ作っていたら、不思議な浮遊感がやってきた。

訃報の後で、こんな気持ちになるのは変だし、不謹慎のようでもあるのだけれど、それは深い幸せの感情のようだった。別れ、は悲しい。ぽかんと、空洞ができている。ただ、この世の旅の途中に出会えたこと、共に語り笑う時間のあったこと、あちこちいろんな道を通って、今この、不思議に透明な朝に、アートと真面目に遊んでいられる場所にいること。そして、それはグールドのピアノの音に導かれて宇宙の広さになること。その無限の感謝と果てしない愉しさ。その広さの中では、生と死すらもがその境目をなくして、永遠の光線の下で駄洒落を連発しているので、思わず、クスっと笑ってしまうのだ。

本当に透明な、朝。