無心に磨いていた時、ふと気づいた。
そうか、人間は磨くためにこの世に生まれてきたんだ。
なんてね。
禅の修行僧さんは修業としてソージするわけで、
あれは一体何なのだろう、と昔から不思議だった。
その謎が、今日分かった。
ソージとは、感謝なのだ。
風呂桶を磨いているというのは、実は地球の一部を磨いていることであり、それは宇宙の一部を磨いているということになり、
なんでそんなことをするのかというと、ここに生きさせてもらってることに、感謝するから。
生まれてきて、宇宙のためにできることって、究極の意味では、感謝くらいなのかもしれない。
なんてね。
そして、ソージは続く。