トイレの未来

映画祭のオープニングは、これでした。

最近、ビルゲイツの財団がトイレに革命を起こすべく、トイレ研究に助成金を出したなんていうニュースがあったのを思い出した。

確かに、トイレ、すなわち排泄行為というのは、人間の基本中の基本。
野原にそのまま・・・なんていうのが原点なのかもしれないけれど、
トイレ文化は国や場所によって、さまざまなのである。

子供の頃、うちは水洗じゃなかった。
あの、暗い穴をどれだけ恐れたことか。
友達がうちに来ると、ちょっと恥ずかしかったりもした。
トイレットペーパーなんて、なかった。
紙はいつも、四角くて、ちょっと皺の寄った落とし紙。
新聞紙の再生紙だったらしく、時々、文字のカケラが混じっていたりした。
革命の「革」の字の半分くらいが、おしりに触ったりしていたのだ。
どう、わくわくしない?

海外で一番ドキっとするのは、
公衆トイレの扉が小さいことだろう。
セーフティのためらしいけれど、今でも他の人の足が見えると、ドキドキする。
ドアの隙間もでかいので、中から外も見える。
まあ、そこを覗く人はいないのだけれどね。

確かに、トイレって未開の地平だと思う。
紙にせよ、水にせよ、
なんか無駄が多い気がする。
トイレ革命。
私もちょっと考えてみよっかな。