よく出来た物語

今日は少し仕事。でも、家に籠ることには変わりなし。
しつこい鼻水だ。一体、鼻水ってのはどこから、出て来るのか。
これは子供の頃から今に至るまでの、究極の謎だ。
こんなに大量の液体が、自分の体の中で生産されているということ自体、信じられない。
しかもだよ、ついさっき擤んだばかりなのに、また詰まって来るこの感じ。
すばらしい生産性。
これがアイディアかなんかだったら、いいのにね。

今日はこんな映画観た。

サラーム・ボンベイ! [VHS]

サラーム・ボンベイ! [VHS]

『スラムドッグ$ミリオネア』がアカデミー賞を取った時、皆がすごいすごいというので劇場に観に行ったのだけれど、私は実はそれ程には感動しなくて、自分でも驚いた。捻くれ者なのかなんなのか、余りにも「よく出来た物語」に出会うとなんとなく胡散臭いと瞬時に感じてしまう性質であるらしい。小説なんかでもそうで、あまりにもよく出来た話を読むと、登場人物も社会背景も、なんだかその物語のために奉仕させられているようで(実際には逆なのかもしれないが)、なんとなく申し訳なくなってしまって、心が離れてしまうのだ。

『サラーム・ボンベイ』は、よく出来た映画だけれど、ハリウッド的文脈での「よく出来た物語」ではない。観客をぐいぐい引っ張って行くサスペンスがあるわけでもなし、最後に爽快などんでん返しがあるわけでもなし。サーカスに売られて、そのサーカス団にすらおいてけぼりにされた少年がボンベイの街で必死に生き延びる、そのサバイバルの日々を淡々と追っていくだけだ。

でも、そこには出会いがあり、別れがあり、怒りがあり、悲しみがあり、どうしようもない苛立や絶望があり、でも一筋の希望や愛の瞬間もまた、間違いなく煌めいている。「よく出来た物語」からは零れ落ちてしまうかもしれない、こうしたいびつで脆い欠片たちがその形のままで丁寧に集められていることに、感動。

☆ 願い事三つありけり神無月