かいじゅうたちはここにいる!

日中はずっと曇り空、夕刻になり雨。折角昨日は晴れたのに、また雨に突入。雨というのは、3日以上続くと、ちょこっと晴れ間があったとしても、世界をすっかり乾かす程の威力はなくて、結局、芯のところが濡れたまま、また雨。この繰り返しをやってると、世界に黴が生えそうだ。いや、実際、あっちこっちに生えてるんだろうな、恐ろしい。シロクマ1号(除湿器)のお陰で、今のところなんとか黴に侵略されずに済んでいるけれど。心の中にも黴の胞子が一つ二つ既に落下した模様。はびこるチャンスを伺っているらしい。警戒警戒。

この雨。うっとうしいこと甚だしいのだが、思えばV市の美しい緑は、この雨あってこそでもあるのだよな。Rain Forestって言うもんな。雨がどっさり降るから、こんなに樹々がボーボーモサモサ生える。でも、私は雨と雪なら雪を取る。小さい頃は、冬は雪にすっぽり包まれて生息していたのだけれど、こんなに冷えた気持ちにはならなかったもの。どこか、ほっかりとして。もっと鋭角的に、厳しくもあったけれど。雨の野郎のメリハリのない、姿のはっきりしない攻撃は、目に見えた破壊力はないようでいて、じくじくと底の方に溜まって始末が悪い。

本日は、楽しみにしていた映画『Where the Wild Things Are』を観に行く。日本でも『かいじゅうたちのいるところ』という題名でおなじみのモーリス・センダックの絵本が原作。絵本の映画化、しかも実写版なので2Dが3Dになっちゃうわけで、平面に収まっていた”かいじゅう”たちは全て着ぐるみに化しているわけで...。3Dにしてみると「なんかちがう〜」ということもよくあるので(これは、N市にあるドカベンのキャラクターの銅像などによっても証明されているのだが)かなり興味津々だったのですが。

かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ


原作とはちょっと設定が変わっているし、映画に出て来るかいじゅうたちは、やたら人間ぽくて、ものすごーく憂鬱なやつらで「あれ、こんなんだったっけ?」と思ったけれど、3Dになってもそれほど違和感はなかった。着ぐるみの毛がモサモサふわふわで、つい抱きつきたくなる感じ。でかい鼻の穴からちょっと鼻水が出てたりするのが笑える。どの"かいじゅう”も、かなりひねくれたヤツらで、臆病だったり、凶暴だったり、孤独だったり、皮肉屋だったり。絶望家だったり。ああ、こんなヤツら、人間世界にもよくいるよな、と苦笑して、そしてよく考えてみると、あれ、もしかして、このかいじゅうたちがいるところは自分の外側じゃなくて、内側なの? ということに気づく。あの臆病さ、卑怯さ、凶暴さ、脳天気さ、妬み、怒り、悲しみ。どいつも、私の中にも住んでいて、時々暴れるんだ。

そうか、かいじゅうたちのいるところってのは、遠い所じゃなくて、ここだったのか。
映画の中のかいじゅうたちは、とにかくやたらに悲しい。
主人公の少年MAXはこのかいじゅうたちの王となって、王国の建設に乗り出すのだけれど、結局かいじゅうたちは葛藤を起こして、全てが失敗に終わるのだ。
悲しい。どこまでも悲しい。あいつらは、悪いヤツらじゃないのだが、自分たちではどうすることもできないのだ。
一つ一つの感情、どうすることもできない悲しみや怒りが、自分たちではどうすることもできないように。

MAXはかいじゅうたちとサヨナラしてママのいる家に戻るのだけれど、かいじゅうたちのいる場所は、たぶん消えはしない。
大人が見ても、心の扉がパタリと開く映画。Where the Wild Things Are って、考えれば考えるほど深い題名だな、などと反芻しつつ、熱燗一本飲んで帰宅。夜の雨。寒し。

Where Wild Things Are Motion Picture Soundtrack

Where Wild Things Are Motion Picture Soundtrack