エビの息子は賢かった

金曜日である。晴天である。今宵はたぶん、とても透明に暮れて行くだろう。こんな日は。そう、映画宵。
ということで、早めの夕食を済ませ、久々にダウンタウンまで徒歩でテクテクでかけて行ってみた。この上なく天気は良いが、ちょっと風が冷たい。上着なしには出歩けない季節がやってきた。金曜の夜に出歩くことなんか少ないので、若者の長蛇の列(クラブ?)などというものを目にしてクラっと眩しい。

Vにはやたらたくさんのレストランがあり、ダウンタウンのレストランというのはその中でも結構値の張る観光客向けのお店なんかが多いのだが、いやはや、どのお店にも人がぎっしり。でもまあ、規模と人のエネルギーにしたら、V全体を合わせても、例えばお江戸吉祥寺の数分の一くらいのもんだろう。それでもちょっと人の賑わいのある夕暮れの道をゆくと、心が少し華やいで来た。

さて、本日向うのは、Vダウンタウンで一番映画館らしい映画館、Scotiabank Theatreである。銀行がスポンサーなので、バンクーとかなんとか名前が銀行みたいなのがいただけないが、内部の雰囲気は「都会の映画館」。ウラ寂しさがないのがいい。もちろん思いっきり寂しい場末の映画館なんてのもいいもんだし、サンフランシスコのCastro Theatreみたいな「すげー、劇場だー」というような古い映画館も大好きだけれど、Vの場合には私が"Sad Mall"と命名するところの、新しいのにうらぶれオーラが充満しているようなモールに映画館が設置されていることが多く、しかも見たい映画はどうしたわけかこうしたサッドなモールの映画館にかかることがほとんどで、いつも映画の前と後に、モールを通過しながらとっても寒い気持ちになってしまうという悲しさがつきまとう。

Scotiabank Theatreには、なかなか私の見たい映画がかからない。映画館はいいのに。しかもロケーションも抜群なのに。なぜなぜなぜ。配給会社の系列のせいらしいんだけど、ここ数年でこのシアターに本当に見たい映画がかかったのなんか数える程。今日は初めからこの映画館に行くぞと決めていたので、必死で選んだんだけど、見てもいいかな...と思えたのは一本だけだった。タランティーノの新作もかかってるけど、あんまり見たくないし。いっそ『Cloudy with a Chance of Meatballs 』なんて見てみたいけど、ここじゃやってないし。というわけで、ようやく選んだ一本は『District 9』。

SFホラー・スプラッター・心理サスペンス・ドキユメンタリーってとこか。スプラッターとかホラーとか、ぜーんぜん興味がないので、普通ならばパスする映画なんだけど、やたら評判がいいので見てみた。ほー、なるほど。途中『ハエ男の恐怖』なんかを思い出す展開もあるのだが、宇宙人(エビみたいな奴ら)が難民として地球にやってきて、そのまま住み着いちゃってるところが南アフリカヨハネスブルグという設定がまず深い。そして、宇宙人と人間、そのどっちが「いい軍」なのかなどという、平坦な善悪の判断をさせないストーリー展開が優れている。それぞれ言い分があり、それぞれがかなり邪悪でもあるが、それぞれの視点から見ると、ことさら悪いことをしていると言い切れない部分もある。人間とエビ宇宙人の攻防を通して見えて来るのは、自分と異質なものとの関係だったり、異質なものを囲い込み、排除し、迫害せずにはいられない人の性だったり、異質なものが自分の中に入って来た時に何が起こるのか、ということだったりする。

どうやら、登場人物(登場宇宙人物)の中で、エビ宇宙人の子供(こいつ、やけにカワイイ)が一番賢いらしかった。こいつは、憎みもしないし、相手を撃ち殺しもしないし、ただ「父ちゃん!」なんて目をうるうるさせて叫びつつ、必死で解決策を探そうとして諦めない。子供ってのは、いつもたぶん、一番賢いんだよな。大人は、眼鏡が血糊や欲膿やエゴ膜で曇り雲ってもう何も見えないので、何も解決できないでいるのだもの。

どこかに、ひそかに、すぐ近くに、あなたの心の中にあるかもしれないDistrict 9。このホラー、結構コワい。