深夜のジャスミンティー

昨晩はものすごい雷鳴稲妻だった。ギザギザのかみなり様ラインが何十回も、空に出現。あんまりすごいんで思わずビデオで撮影してしまったほど、数えきれない程の閃光と空気の振動。結局、雷がまだゴロゴロ鳴っているというのに、花火大会は決行され、稲妻と花火の二段攻撃という稀に見る光の饗宴が実現した。N市では雨が降ると花火大会は延期されるのが常なので、なぜV市では雨の中でも打ち上げが出来るのかは不明。それにしても、雨が降り稲妻の走る浜で花火を見た人は結構怖かったんじゃないかな。

さて。20分くらいのミニ花火が終わり、人混みはここでダウンタウンから外へ外へと家路に向うのだが、私は逆に真夜中近くなってダウンタウンにアプローチ。行動が怪しい。しかも、ダウンタウンの北東側の、3歩あるけばホームレスのおじさんおばさんに行き当たり、麻薬中毒者があっちこっちの路上にたむろしているV市でも最も危ない地域の近く。なぜ、そんな危ないところにわざわざ深夜に出掛けたのか。そのココロは。

アートである。このちょっと怪しい雰囲気の界隈にあるアートスタジオで毎月開かれる「深夜のお茶会」なるものに、招待されたのだ。このお茶会、ゲスト(観客)は限定12名。そしてその全員がパフォーマンスに参加するのが基本なのだが、私は「観覧客」という立場で、いろんなことが起こっている現場を外側から見せてもらった。とはいえ、到着して暫くすると私も目隠しさせられて、随分長い間じっと椅子に座らせられて...。待つ事X分。待ちくたびれた頃に「声」と「手」がやってきて、お茶会が開かれる部屋へと私を導いてくれた。そして更に座ることX分。高鳴る音楽、何かの香り。行き交う人の気配。見えないことで初めて浮かんでくる感覚を楽しみながら待っていると、ようやく「目隠しを外してもいいですよ」と声が言った。

...などと書くと、『アイズ・ワイド・シャット』系のアブナい催しか、と勘違いされそうだけれど、雰囲気はあくまでもフレンドリー&リラックス。今回のゲストアーティストは黒人女性歌手/詩人で、お茶を供された後の観客はパフォーマーたちの導きにより一緒にダンスしたり、何やら儀式めいた所作をやったり、お茶を啜ったり、特製のアート茶菓子をつまんだりして時間を過ごしていた。

参加型のアートというのは、傍観者として外側から見ていても実際何がどう起こっているのかよく分からないことが多いんだけど、今回も「傍観者」である私には今ひとつ観客が体験しているものが何なのかがあまり伝わって来なかった。ただ、メインのダンサーの女性(主宰者。彼女が招待してくれた)が一度、私のところまでやってきて、瓶の中で泳いでいる黒っぽい金魚を差し出しながら、「あなたも一人で部屋にいる時はこの金魚と同じなの?」というようなことを質問して、やたら長い間私の目をじっと見つめた時には、ああ何かがちょっと起こっているという感覚があった。私は傍観者を決め込んでいたのでどうそれに答えてよいのか当惑して目を伏せてしばらく黙り、それから心を決めて目を上げ、彼女の目をじっと見つめ返してまた黙っていた。彼女はしばらくして私の裸足の足をそっとさすって、一言二言フレンドリーな言葉を囁き、去って行った。土足厳禁だったから裸足だっただけなのだが、床板が冷たかったせいか私の足は随分冷えていて、そのことが彼女の温かい手に触れられることによって初めて分かったのが不思議だった。自分の忘れていた足を彼女が見つけてくれたみたいだった。あるいは。私の中にある冷たい部分に彼女の温かい手が触れたという感覚。何かが溶けてゆく感じがした。

アートというと、職業柄ついつい目が厳しくなってしまうので、あれはもっとこうしたらいいのに...といった職業病的なコメントをつけようと思えば幾らでもつけられるようなユルいイベントであったけれど、深夜の1時半過ぎまで続く半ばカオティックなダンスや音楽、歌や言葉の断片の浮かぶ奇妙な空間の片隅で、ジャスミンティーをゆっくりと啜っているのも悪くなかった。お茶は3時に決まってるでしょ! という当たり前の日常世界の中に「あら、お茶は深夜でもいいんじゃない?」という自由な非日常を発生させることができるから、アートはやっぱり面白い。午後3時には3時の、深夜零時には零時の、特別の匂いがあるのだから。