ハウアーユーの謎

本日曇天。寒い。昨日までの暑さを予定して、袖無し肩丸出しで出掛けたら凍りそうになった。それでもいきつけカフェのテラスでは、短パン姿の女性二名が、もうさっきから30分くらい風の中でおしゃべりしている。寒くないのだろうか。こう寒いと植物が心配である。昨日新しい土へと植え替えられた小松菜の群れやピーマンなどは、ちゃんと根付いてくれるのであろうか。

ところで、やや顔馴染みになったこのカフェのバリスタのねーちゃんは、私にいつも「ハウアーユー?」と笑顔で声をかけてくれる。まあ、別にこれは顔馴染みだからそうだという訳ではなくて、V市では、いやこのC国では、お店に入ると必ず店員に「ハウアーユー?」と声をかけられてしまうのである。あら、フレンドリーで良いじゃない、ということになるんだけど、よく考えてみると日本では行きつけでもないお店に入った途端に「あら、お元気?」と言われることは少ない。普通は「いらっしゃいませ」、あるいは無言で笑顔というところだろう。

この「店員のハウアーユー現象」は海外のスタンダードなのかというと、そうでもない気がする。F犬街に住んでいた時は、店員は「ハァイ」とか「ハロー」くらい言ったかもしれないけど、いきなり「ハウアーユー」とは来なかった。V市では、スーパーのレジ係もお客全員に「ハウアーユー?」と声を掛ける。要するに、これがV市における「らっしゃい〜」なのだと思い込めばよいのだが、中学校で「"ハウアーユー?"は"お元気ですか?"という意味」だと、新学期の初めの初めに叩き込まれたので、脳がどうしてもそっちの方に配線されて「あれっ?」と思ってしまうのだ。私は大抵、日本でお店に入る時には「すいませーん」と言う。お店の人は「いらっしゃいませ」とはっきりと言うか、「はい、ども」とかなんとか、曖昧な音を出して佇んでいるか、どっちにしてもこっちの体調とか気分とかそんなことを尋ねて来たりしない。その距離感に慣れているので「ハウアーユー?」と店員に言われると、一瞬怯む。脳の中で(あんたに私が元気かどうかなんて関係ないだろうって)とかいう声が一瞬駆け巡ったりさえする。我ながらなんというアンフレンドリーな脳なのだろう。自分でも悲しくなる。

この、店員の「ハウアーユー」攻めに慣れるまでに数年かかった。そして、ようやく今では「ハウアーユー」に対して "I'm fine" とか "I'm doing great" とか言えるところまでは成長したのである。ちょっと脳の端っこがくすぐったいなと思いながらも、結構がんばってこちらの慣習に従っているのである。しかし。

どうやら、"I'm fine, thanks." で文章を終えてはいけないことが、他の人たちの反応を見て分かって来た。店員に「ハウアーユー?」と訊かれた客は "I'm fine. How about you?" なんて具合に、今度は店員さんに「で、あなたは元気?」ってのをくっつけて返すのだ。実はお客がお店に入って行く時にも「ハウアーユー?」と店員に声を掛けながら入って行くことが多い。多いというか、店員に「ハウアーユー?」を言われる前に客が「ハウアーユー?」と店員に声をかけるのが本式なくらいなのである。最初はこれもすごく変な気がしたのだが、ようするにこれが日本における「すみませーん」と同じ機能を果たしているのである。

私は未だ、「ハウアーユー?」と言いながらお店に入って行くのも、店員さんに「で、あなたは元気?」というのをくっつけて返すのがものすごく苦手。つい脳が「私がなんで初対面の店員に『おげんき〜?』なんて言わなきゃならないんだ」とか呟くのをなんとか抑えて、がんばって声を出してみようとするのだが、結構ぎこちなかったりして冷や汗が流れる。習慣とは面白いもので、店に入る時の「すいませーん」みたいな、無意識でやっていることが一番コチラ風に直しにくかったりする。日本人なのだから日本風で堂々と行けとかいう考えもあるかもしれないけど、やはり無言でぬぼーっと現れるアンフレンドリーな人だなあと密かに思われているのだろうか、などとちょっと気になったりもする。(そういうぬぼーな私も Hi!とかHello!くらいは言うのだが、フレンドリー度がまだ足りないような気がして...)

ちなみに、V市あるいはC国そしてF犬街EU地方においては、挨拶する時に「おっはよー、マリアンヌ!」とか「さいなら、トニー!」とか名前を付けるのが一般的であるようなのだが、これも私はものすごく苦手。相手の名前を付けずに「おはよ」とか「ばいばい」とか内気に呟いて終わってしまうことが多い。これも日本語にこの習慣がないからなのだが、相手の名前を口に出すことで、相手への思いやりを表現しているようなところもあるらしく、時々申し訳なく思ってしまう。これまた、私の頑固な脳がどこまで学習してくれるのか分からないが、きっといつの日か。すらすらと、無意識のうちに「いい天気らねえ、サーシャ」などという挨拶が英語で出て来た時、それが私の脳の真のバイリンガル化の瞬間かもしれない。