さようなら昨日、こんにちは明日

変わるというのは、難しいことだ。髪型を変えるのも、ファッションを変えるのも、行きつけの店を変えるのも、彼氏彼女を変えるのも、住む場所を変えるのも、考え方を変えるのも、みんなそれぞれ、程度の違いはあれ、難しい。人間というものは慣れ親しんだモノが好きで、変化が苦手なのだ。道順なんて100通りも1000通りも考えられるのに、つい毎日同じ角を曲がり、同じ路地を抜けて、同じポーズで信号待ちして、電車の中の同じ席に座って会社に通うなんて人が結構多いのだ。...てなことをフと考えたのは、皆さんご存知のように(え、知らなかった?)この『音加庵日乗』は昨日お引っ越しを終えて、新しい住所へと移ったのだが、これがなんとなく落ち着かないのですよ。フォントの形、サイズ、色の違い、画面のレイアウトの違いにどうも馴染めなくて。文字の形や大きさ色なんかに、ああ、私の思考はこんなに影響されてたのか。と溜息が出るくらい、なんだか頭の中の配線がうまくつながらないようで。ああ、昔の住所が懐かしいなあ、などとつい思ってしまうのです。

昔の住所ってったって、たかが50日くらい住んだだけの場所なんだけど。しかも、結構なボロ屋だったんだけど。家具も何もないような、ガランと真っ白な部屋だったんだけど。なんとなくいつの間にかその空間に愛着が沸いちゃって、新しい家は前よりも設備も間取りもいいのかも知れないのだが、どうも昔のことばっかり思い出しちゃって。ついつい新しい家の壁フォント色サイズなどを前の家風にしちゃってる自分がいて。折角引っ越したのだから、思いっきりイメージチェンジすればよいものを。というわけで、何とも代わり映えのしない新部屋で失礼。

と、でもしかし、新しい部屋にちょっと家具を置いたり、掃除をしたり、床磨いたり、ぼんやり半日くらい過ごしているうちに、脳の配線がどうやら追いついて来たようで、新しい場所も悪くないな、とちょっと気分が上向いて来た。新しい場所。変化。よっこいしょっとそこに入り込むのが大変なのだが、思い切ってやってみれば、そこにはなんと想像もしなかった別世界が。まぶしい、清々しい、なんだか世界が昨日より明るい。大袈裟に言うと、生まれ変わった気分なのだな、コレ。脳の中がこちょこちょされている。気分が、体が、思考が、新しい地平で歩み始めている。まあ、たかがブログの引っ越しなんですけど。

F犬街で弟子入りしていた親方のお気に入りの言葉の一つが「メタモルフォーズ」だった。親方曰く「変化しないものは死ぬ」だそうである。昆虫などはこの最たるもので、生きて行くその時間全てがメタモルフォーズであって、常に変わり続けることで生き延び、変化しなくなった時点で死を迎える。親方のこういう考え方に洗脳されたわけでもないのだが、私も昔からなんとなく「変化しなくなったら終わりなんじゃないだろうか」と思っていた。子供なんて、自分で変わろうとしてるわけでもないだろうけれど、まだ成長の過程にあるから、背もどんどん伸びるし、顔形は大陸移動するし、声は変わるしで、存在そのものが変化という具合で、ものすごい勢いがある。あの頃は、毎日が変化の連続だったものなあ。昨日できなかったことが今日できる、なんてこともザラだったし。それがいつの間にか安定期に入り、大人と呼ばれるようになるとなんとも変化のない毎日が続くようになる。社会的にも職場だの家庭だのと、変化よりも安定が求められる状況が多くなり、あんまり無責任に変わったりもできなくなるし。そして例の『老人力』ではないが、老化という体の衰えも一種の変化であって、老年時代は変化という視点からするとそれなりに評価できたりもするのだが、頭はやっぱり堅くなって内面的には変われないようなフェーズがやってきて、心も体も、もう変わらなくていいやというところまで到達すると、終了。

アートなどということを職業にしていると、変わり続けて自分を常に新鮮に保つことが使命のような部分もあるので、いとおしいなあ、懐かしいなあ、ずっとこのままで居たいなあ、などと後ろを未練たっぷりに振り返りつつも、えいやっと立ち上がり、荷物をまとめて、変化に向ってスナフキン風に旅立たなければならぬことが多く、でもまあ、ある意味この職業をやっている間は死なずに済むわけで、お金にも社会的地位にもどうも縁が薄いようであるが、生きるという視点から見るとかなりお得な立場でもあり、それだからこそまた、油断しているとすぐに固着し、粘着し、うじうじとして変われない自分が死のギリギリのところでしかも無一文で呆然と突っ立っている、などというこの上なく危険な状況にも陥りやすいわけで、まあ、アーティストって職業かぁ? などと陽の当たる道をゆくひとびとに鼻でへへっと笑われたりしつつも、これで結構真面目にやっていたりもするのです。卵から生まれた毛虫がさなぎとなり、蝶になるのかな、どうなのかな、あれれ、これは蛾の幼虫だったのかな、それとも中身は既にカラっぽかな、れれれっ、れれれっ、という位の真剣勝負の毎日でもあるのです。変化は、そういう意味で、よいのです、とにかく。それがどの程度のものであっても。変わらないよりは、変わった方が。まだ死んでないという点だけでも。ね。

と、なんだか、言い訳臭いけど。引っ越ししました。ぜひぜひ、この新しいお部屋にも遊びに来てね(ウインク)。
前の部屋から間取りその他はそれほどグレードアップしてませんが、ほら、窓の外を見て下さい。絶景ですよ、絶景。かもめが空を横切ります。