V図書館読み切り計画:002『人生を救え!』

[rakuten:book:11010099:detail]

(所蔵日:2005年6月16日)

さて、お母さん+赤ん坊のいる書径を離れ、も一冊と手にしたのがコレ。

『人生を救え!』という本を読む人は、何か救われたい人生の事情のある人か、町田康の愛読者か、(あるいはいしいしんじの愛読者か)、山があれば登り書があれば読むという人かのいずれだろう。わたしの場合は、その三つが同じくらいのバランスで混じったところで書架に手が伸びた。

救われたい人生の部分は本日は割愛するとして、ここのところ、『くっすん大黒』『権現の踊り子』と二つ続けて町田康を読んだところで、ただのパンク歌手が物書きになった程度のものかと侮っていたら、背後から顔面パンチをくらわされて鼻血が未だ止まらないような調子で、なかなか良いではないかこの男と、もうちょっと読んでみたくなっていたとこだったのだ。

V館に所蔵されたコレ、かなり読み込まれた風に手垢にまみれ、何か液体のようなものに浸かった如き染みが広がっている。しかも32ページから35ページに、何やら血痕のようなものも飛散しており、このことからも、この本を手にした人の汗、涙、硫酸、流血などが偲ばれ、その読者たちの「なんとか救われたい」という思いがページ一枚一枚のヨゴレ、しみ、血眼の眼で追った痕跡などから明白なのであった。バンクーバーという異国の地で、人生に悩む若者たち、中年達、そしてじいちゃんばあちゃんたち。そうした人々にこの本は、阿呆らしい真面目さで人生指南の役割を果たして来たのだろうし、これからもそうなのだろう。硫酸、というのは冗談ではなく、どうも40ページ読んだ辺りからアレルギーの発作に襲われ、どうやらそれが本のページに染み込んだ人々の怨念、指の垢、涙の物質、おせんべの欠片、あるいは切羽詰まり目の前に置かれた硫酸の壜の臭気などが混ぜ合わさったもののように思われ、読破は困難かと危惧されたのですが、そんなのはやっぱり心理的なものだったのでしょう、60ページ過ぎたあたりから全然平気になり、無事読了。ただし、ページは汚れてます。読んだ後は手を洗いましょう。

本の前半は町田康による人生相談。後半は町田康いしいしんじと一緒に東京の街をブラブラしながら、いろいろとくだらないことを会話するという構成。人生相談の方も面白いが、ブラブラ散歩編が面白い。非常にどうでもいいようなことを適当に言っているように見えながら、世の中の本質に迫っているような瞬間も多々あり、なかなかよい。本で学んだ哲学ではなく、路地で街で、歩いて転んで、飲んで吐いて学んだ哲学が潔い。アウトサイダーというもの(それを人は落伍者、敗北者、歌舞伎者などと軽蔑もし、また羨望し嫉妬しもするのだが)が持つ視点というもの、そこからしか見えて来ない世界の本質というようなことを、ちょっと考えた。

特にホームレスについて語ってる部分は、やたらホームレスが多いV市のこととも照らし合わせつつ、なるほど、そうか、こっちでもそうかしら、そうかな、などと、いろいろ考えた。

権現の踊り子』とこの本を続けて読むと、あれっ? この散歩から町田康は小説のシーンを作ったのかなと思う部分が見つかって、ふふふと楽しめる。

いや、ちょっと惚れそうだ。この男。なかなかいい。町田康。一度一緒に酒飲んでみたい。