新たなるソージへの道

公演が迫り、作品作りをしなければいけないというのに、うっかりソージにのめり込んでしまった。
昨日は一時間。
そして、今日は、たぶん2時間以上。
台所、洗面台、戸棚、引き出し。
そして、ベランダにも手をつけてしまった。
恐るべきことは、
今回のソージは今までのソージとは違うということだ。

すんごく奇麗になっている。
今まで、生涯一度として片付いたことのなかった引き出しが、整然としている。
一度として。

と言ったが、
実は、自分が記憶している限り、と言い換えた方がよさそうだ。
机や部屋がごちゃごちゃなので、よく叱られたのだけれど、
そんな時、母がいつも、こう言ってたから。
「ちっちゃい時には、床に落ちてる埃を見つけて、捨てる子だったのにねえ」
この母の言葉を、友達も親戚も学校の先生も信じなかったし、自分でも信じてなかった。
でも、今日あちこちソージをしながら自分の中にあるものを探してみたところ、ソージをしなくなるに至った心理の動きが、遥か遠くに浮かんでくるような予感。

本当は、ソージがものすごく好きなのかもしれない、
という気がしてきた。

大好きなので、それをやることに変な罪悪感を覚えていたのかもしれない。ソージよりも、大切なことがあるだろう、なんて自分に思い込ませようとして。

そうだ、そうでなければ、こんなにソージが楽しいはずはない。

ようやくハイハイしながらピカピカの床で毛玉を指でつまみあげてた子供に辿り着いた。

このように回り道して、人は原点にもどるものなのか。

と、感動すら覚えるが、今やるべき仕事は進まない。

単なる逃避? それにしては、家がこれまで一度もなかったように輝いている。今まで一度もそうやって見たことがないような、そんな目線で今日はものが見えた。新しい物語の始まり、たぶん、そうらしい。ってことで。