あの、とんぼのいる、秋の、あの場所のために

今日うれしかったのは、
故郷Nの「原発」県民投票を求める署名が、必要数の4万筆に達したらしいという知らせ。
県民投票実現に向けて、一つ目のハードルをクリアしたということだ。
この運動は、原発に賛成・反対の立場を超えて、
住民の意向を地域の原子力政策に反映させる道を開こうとするものであるところに共感している。

遠く故郷を離れていると、どうしているのかとやたらに気になる。
ずっとそこに住んでいた時には、見えなかったものが、遠くからは見えたりもする。

あの頃、あの街に住んでいた頃、
何もたぶん考えていなかった。
まあ、誰かに任せておけば、いいようにしてくれるだろうって、
ほんとうに信じ込んでいた。
今頃は蝉がうるさい程に鳴き続けて、
もう少しすると、赤蜻蛉がやってくる。
そいつらを待って、空に向って腕を突き上げて、
その先に人差し指を更に突き出して、
群れの中の一匹がこの指先にそっと止まる、
すがすがしい、
懐かしい
透明な
風の吹いている
その場所のために、
その場所が、いつまでも、そこにあるために、
私とは何の関係もない、
ずっとずっとその先っぽの、
まだ見ぬ姿の少年の指先の、
一匹が同じ風に光り羽を揺らす、
その時間のために。

考える、今。
考える。調べる。考える。伝える。分からない。迷う。考える。聞く。

あのいちばんいっとう奇麗な場所を、
あの銀河年が中にすっぽり入ってしまうおおきさの時間を、
いないかもしれない誰かに任せられるだろうか。
誰かという人がもしいるとするならば、
その誰かは、わたし。
もしくは、あなた。
それはどこかにいるとかいわれつづけてきた、偉い人や立派な服を着た人では、ないらしいのだ。

人類の集中力

期間限定でうちにテレビが戻って来た。
オリンピック期間限定。
周りには、オリンピックなんて全然見ませんという人が多く、
私も、別に見なくてもね、とか言っていたので、
わざわざこのためにケーブルテレビを復活したというのはちょっと恥ずかしくもあるのだが、
結構やたらにいろんな競技を見ている。

いろいろなスポーツを見ながら思うことは、
私は勝ち負けというのには、実はあまり興味がないようで、
ルールすらよく知らないことが多いのだけれど、
それでも、ついじっと見てしまうのは、
極度に集中している人類を見るのが好きだ、ということらしい。

オリンピックは商業主義で、しかも国対抗のところが国家主義的で嫌、という声をよく聞くし、ほんとそうだなとも思う。ただ、☆の距離から眺めて、別のレベルに焦点を合わせてみると、全く生産性はないらしいことを恐るべき真面目さで遂行している人類というのは、不思議でもあり、なんとも可愛らしい存在にも見えてくる。

そこまでやるか、人類。
怖いほどの、集中。

先生

あれあれという間に8月。
暑くない夏が続く。

今宵は名作を見ようということになって、
選んだのがこれ。

いつも心に太陽を [VHS]

いつも心に太陽を [VHS]

『To Sir, with Love』という、1967年のイギリス映画。
邦題は『いつも心に太陽を』...ちょっと雰囲気がズレるけれど、学園ものなのでこんなノリになるのか...。

荒れた若者達の眼に少しずつ輝きが戻っていく様が美しい。
せんせー! と思わず叫びながら駆け寄りたくなる。
人が人を導く。
先生って、凄い仕事だ。

(美術館のシーンのコラージュ必見。あとLULUの歌〜)

花火と友達

今日はVの花火大会の第一日目。ベトナムの花火が上がる日。
こちらの花火大会は3日に分かれていて、それぞれの日に夜10時から20分程上がる。
海辺の一等地にアパートを借りている友人に誘われて、25階の高層からの花火見物。
Nの花火大会に慣れてしまっている身には、
「あはは、ちっこいー」
とどうしても思えてしまうサイズなのだけれど、
そう遠くもない沖に組まれた櫓から海の上に上がる姿には風情があって、
上から見ると、この櫓をぐるりと囲むように、大小のボートが集まっていて、
それが花火の光を分けてもらおうと集まった小動物のように見えて可愛らしく、
感動が沸き上がってくる。

実はこの感動というのは、これ以上の夕暮れはないというくらいの絶景の中の花火からもたらされたというだけではなくて、
そこに集まっている友達の笑顔やら歓声やらが、そこにあるから、
だから心が温まってじいんとしたのだ。

その瞬間、10人程が並んで座り、小さな花火を見つめる小さなベランダは、
宇宙の大きさになって、
永遠のノートに記憶され、
一言ではいいづらいけれど、行ってみればそれは、
感謝、
宇宙への、命への感謝でもあったのだ。

...などという大袈裟な感慨は内側の奥の小箱にさっと取り込んでみたのだけれど、
気持ちのよい風の入って来る部屋で、
飲んで話して笑って笑って笑って夜は暮れ、
友達といる深夜の部屋はやっぱり宙に浮かび、ぼうっと輝いていた。

踊るひとびと

あ、っと思ったら、うちのテレビは配線がつながってなくて、
スポーツバーにオリンピックの開会式を観に行った。
まあ平日の昼間だからなのだろうけれど、
テレビモニターが10台くらいぞぞーんと並んでるお店なのに、
お客はほとんどいない。
こういう日だからスポーツバーなんて満席なのかなと思ってたのに。
拍子抜け。

などと思いながら、映像を見ていたのだが。
あれっ。
日本選手団が、全く? 映らなかった。
時間がなかったのか、カメラマンのミスか、
全く映らないってあんまりだー。
と、私は一人で暴れていた。

夜、映画祭の打ち上げをMカフェで。
小さいカフェにたくさん人が集まり、
それだけでもぎゅうぎゅうだなと思っていたのに、
9時ごろからダンスが始まった。
みんな、ものすんごく踊る。
こんなに楽しそうに踊っている人々を見たのは何年振りだろうか。
なんとなく、熱気、湯気、笑顔、手拍子、
そんなのを見てて、こりゃ夏祭り、盆踊りのノリだなと密かに微笑んだ。
仲間が集まって、飲んで、話して、一緒に踊る。
これ以上に楽しいことってある?
人間に生まれて、どうもこれ以上に楽しいことは思いつかないなあ、
と思えるくらい、
楽しい宵だった。

踊る阿呆に見る阿呆。ホレホレ。

5時、焼肉

祝う事ありて、5時に焼肉。
もう食べられませんというところまで食べて、
Sホテルのラウンジに移動してカクテル。杏味のリキュール。
ギターを弾いたり、ピアノを弾いたりして歌うお兄さんの生演奏付き。熱唱。
なぜか背後では、小さな子供を連れた親子がどっさりごはんを食べていた。
妙なラウンジだ。
その後、Vで一番旨いとか言われているジェラートショップに移動。
ここ2週間で3回くらいここで食べている。
確かに、かなり美味しい。
映画にでも行こうか、と口に出してみたのだが、
お腹が膨れ過ぎていて、そんな気持ちにも本当にはなれず、
家に帰って家映画宵。

この映画、飛行機の中で既に2度ほど観ようとして、途中で断念した。
今日はようやく最後まで到達。
やっぱりあんまりパっとしなかった。
1968年の『猿の惑星』の印象が強烈すぎて、
今回はCGで頑張ってみたらしいのだが、
私はどうもあの、ハリボテ、かぶり物で描くSFの世界というのが好きらしい。
本当らしさで包んだ空洞より、嘘くささ丸出しの奥に光る真実に惹かれる。
今回は唯一、オランウータンに惚れた。彼とはお友達になりたい。
と、まだ肉の消化進まぬ妄想午後10時52分也。

ぶらぶら

久しぶりにぶらぶらした。
まだ映画祭の後片付け系の仕事が残っていて、
そんなのをちょこちょことはやっていたのだけれど、
まあ、どうしても今日中に終らせないとどうなるっていうものでもないので、
気持ちはぶらぶらなのである。

ああ、ぶらぶらっていいな。
夜、長い散歩した。
いい犬と道すがら30頭くらいすれ違った。
誰かの犬を見るという、変な趣味が育ったのも、
Vにはやたらにいい犬が多いからなのだけれど、
今日の犬達も、随分楽しませてくれた。
ちっこいの、おおきいの、ふさふさなの、くるくるなの。
そのチコチコ、ソクソク歩く影の後ろには、海辺の夕暮れ。
薄紫の、薄緑の、濃淡の藍の。
翳り行く光のうねる、水面の反映。
浜から濡れた犬が上がって来て、ベンチに座っていた私の足に水しぶきを飛ばして過ぎて行った。

はあ。幸せ。